2012年5月17日 (木)

五行大義ー数を論ずー九宮の数を論ず(7)

五紀の数は四であり、東南にある。五紀とは歳(さい)、日月(にちげつ)、奉化(ほうか)、日辰(にっしん)、暦数(れきすう)のことである。八政が修まると歳時日月に従わなければ種を蒔き、植えることはできない。八政の次に行うべきことなので四である。また、「巽の四は東南にあり、風は四季を行(めぐ)るので四季の数に応じる。」と言っている。東南の巳であり、(西北にあって)純粋な陽の卦である乾は事を行う。乾は天を主り、巽はその命令を主る。だから(巽は)東南に居るのである。歳は四つの季節をもって盛衰始終することを順序立てる。日月は万物の気の変化やその様子を明らかにする。

奉化とは天子の徳を仰ぎ功績を立て宝物を天子に貢ぐべきであるということである。日辰は陰陽を順序立て、生産物を区別することである。暦数とは天体の度数を書き記し、農夫から無理矢理に税を徴収する時に従う。だから、「王は一年のことを十分に考え税数を把握して人民を教化する。大臣は一月のことを十分に考え王の教化を奉じ、正道を行って王に宝物を貢ぐ。諸官の長は一日のことを十分に考えて多くの仕事を並べていろいろな物を制作させる。」と言っている。歳・月・日は時節によって変わることはなく務めを修めて時を遵守して規則に従うのである。だから、「日・月・星辰、および雲や雨はその時々に生ずるのである。」と言うのである。皇極の数は五で中央に位置する。皇帝はたくさんの国を建て、中央に居て四方の国を区分する。百官によってそれらの国を治めさせ、すべての政務がよく処理され、その時々の事がうまく行き、貢ぎ物が公平になる。こうして租税や五穀は王室に供される。だから皇帝は中央に居るのである。中央の数は元々五である。また、「土は中央にあって五行の数に応じる。」と言うのである。もし王が移動して中央に居なければすべての政を行うことができなくなる。だから、「皇帝が中央に居ないことを不建である。」と言うのである。だから、百官が君主に上奏し、政治が公卿によってなされる。」というのである。

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2012年5月16日 (水)

退場します

6月末で今の職場から退場することが決まりました。この職場には近くて便利だったのですが、仕事に対する姿勢とかが何となく違っていて、ずっと違和感を感じた職場だったのでちょうどよい機会かもしれません。一緒に仕事をしている人がいるのですが、その人も去りたいと言っていたのですが、私の方が先に去ることになってしまいました。勝ち組ということになっています(苦笑)。

終了するのはいいのですが、次の仕事がどうなるかが会社としては心配なところです。現時点ではまだ決まってはいませんが、いろいろ話しはあるようなのであまり心配してはいません。いっそ、1ヶ月くらい決まらなくてもいいかな、と個人的には思っています(苦笑)。

今度の職場もiPhoneアプリの開発になると思います。だいぶ思った通りに作れるようになったとは言え、まだまだ修行中の身です。上を向けばキリがありませんが、どうせやるからには徹底的に上を目指したいと思っています。そのためには、もっともっと勉強する必要があります。自分で選んだ道とは言え、本当に技術者というのは(技術者に限ったことではないのでしょうが)、一生勉強ですね(苦笑)。

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2012年5月15日 (火)

首塚(平将門公)

これまでにも何度か参拝したことがあります。直近では去年の8月13日です。こちらも、兜神社から歩くというのは現実的ではありません。丸ノ内線「大手町」あたりを利用するのが近いと思います。ただ、縁がないと辺りをぐるぐる廻ることになる、という話しも耳にします(苦笑)。気をつけてください。

この日は平日だったこともあり、参拝客は少なかったです。私の前にはスーツ姿の男性2人組が参拝していました。こういう光景を目にするのはここくらいですかね。

いつ行っても掃除が行き届いている場所です。それだけ信仰が篤いのでしょう。ただ残念なのは、お酒をお供えしないように、とあることです。ご本人は大好きなのですけどね(苦笑)。祀る者、祀られる者の都合が垣間見えて来ます。

そんな場所ですが、最近、将門公がここに居ることはほとんどないのでは、と思うようになりました。私が鈍感になったからかもしれませんが、ここで何かを感じたことはなかったような気がします。一方、これと反対の意見を言う方も多く、結局のところ、自分がどうなのかをはっきりさせることが大事なのだな、と最近特に実感しています。

参拝日:2012/3/12

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2012年5月14日 (月)

転生について

●転生の目的は何か

限りなき生命を操る我が神。我が神の御元に数限りなく生命の営みが繰り返される。過去世における姿形に憶えがなくとも心を司る魂の本質は何事にも代え難き。魂の本質はすべての経験を重ねた上で浄化される。この浄化の類を重ねねば心の質を変えることができぬ。魂は常に浄化の上に浄化を重ね、未来永劫の力となる。

転生は過去世の認識を持ちながら現代の中で生活を営む。この営みの中で繰り返される生活体験が目的である。いろいろな形の中から自分を作り上げていくこの過程の中で人はすべての中(地球上における全般的意識。個々の生命体から流れる意識が統括された集合体の中に組み込まれる周波のような存在である)の自分を見失う。

すべての中の自分を見失った者達は過去世の意識体験を持ちながら現実的体験の中では何事も活かしきれていない。この世のざわつきが転生における仮定理論を受け付けぬ。繰り返されていることすら気付かぬ。生活全般体験が己の意識の中で統括されてゆくことすら気付かぬ。周波のエネルギーが個々の生命体から送られていることすら気付かぬ。

神はすべての心である。この心持つ者達がはがねのように強情では神の心も届かぬ。無駄な価値を植え付けても理攻めで迫り来るだけ。神の価値など存在しない。あるとすれば心の価値のみ。神は心を請け負う者。心の価値なき者達にどのように慈しんで育てたところで我が神の価値なぞ存在しない。

心がすべてをつなぐエネルギー。再生を繰り返される源から心の周波と共に送られてくるエネルギーが心の基。生命の中から個々の生命体の中から命のつなぎとして生きる(心が生きる)のが生命の本質的価値ぞ。

●転生はすべての生命に起こるのか

命を持つもの達であらばどの過程を通っても繰り返される。人間であっても動物であってもしかり。生命とは基準の中で生かされたもの達がいろいろな体験を通して互いの価値観の中で見定めた枠を越えたところに存在する意識の輪郭。この意識の輪郭を越えたところに超越した異次元がある。意識体験の重なりが集う集合体、組織的配合が分配される超意識の頂点、総合体からなる無意識の世界、光の中から重なる無期限の世界、このように重なって世界が作られておる。

●人間から動物、またその逆の転生はあるのか

生命の不可思議。起こりうることもある。生命倫理には反しておろうが生命体験の貧弱な者は個々の生命体から拾うものもない生命の中には生活体験が活かされない者達もいる。

倫理に反したとしてもこの境界を破らねばならぬこともあり得る。意識と知性のはざまで揺れ動くこともあろうがこの者達は己の罪で伐採にかけられる。だからと言って動物や化け物になることではない。その心がそれに等しい行いとして罪にかけられるだけである。罪や罰としてではなく、心がその罪を背負うことである。

●転生は進化の方向にしか起こらないか

転生は進化ではない。浄化である。進化の過程は数億年もの年月をかけて行われておるが、転生は数百年~数年の境界において自己の関わりの中から拾い集めて転生を決める。自己の転生体験の中から己にふさわしい行為として地上に降りる。再生された魂として自己活用のためこの世に降りる。分別ある行為の中から選ばれて来ておる。再生されないものは数百年かかる。自己意識の足りない者達はいつまで経っても浮遊の長者として仏界の包囲から抜けられぬ。

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2012年5月13日 (日)

五行大義ー数を論ずー九宮の数を論ず(6)

九宮の数の一は北方から起こって始まるものである。坎は一で真北にあり天の始めにあたる。始めは二つない。だから一である。北方は五行が始まるところであり、したがって五行は北方にある。だから「陽気の始めであり、万物はまさに萌そうとする。」というのである。五事の数は二であり西南にある。五事とは貌(ぼう)・言(げん)・視(し)・聴(ちょう)・思(し)をいう。これについては改めて後編で解説するものとする。五行に因って五事がある。したがって、五行の次に五事があり、(一についで)二となる。また、「坤の二は西南にある。地の数にあたる。」という。西南は林鐘の管で最初の黄鐘の気の次であるので二である(別のところで詳しく扱う予定)。五事は人事の第一である。だから「謙虚にして徳を身につけ、朝廷におめでたいことを申し上げる。」という。ならびに五事が主るところである。八政の数は三であり東方にあるものである。八政とは食(しょく)・貨(か)・祀(し)・司空(しくう)・司徒(しと)・司寇(しこう)・賓(ひん)・師(し)のことである。まず五事があり次に八政を修める。だから数は三となる。また、「震の三は真東であり人の数に応じて三才(天地人)の義がここに尽きる。」と言う。東方は春であり農業を始める時である。食とは耕したりそれを調理することを主る官である。貨とは銭や布、金、兵を蓄え備えることを主る官である。祀は祭祀を主る官である。司空は土木を主る官である。司徒は民の戸籍の数を主る官である。司寇は盗賊を取り締まり事件を調べることを主る官である。賓は外国との行き来を記録しこれを接待することを主る官である。師は農民を教育し農事に一定の方法を設けることを主る官である。だから、「多くの穀物を植えて麻を育て蚕を飼う。」というのである。

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2012年5月12日 (土)

神社検定を受験します

先日お話しした神社検定ですが、受験することにしました。一応、公式テキストを2冊購入して毎日少しずつ読んでいます。

「神社のいろは」というテキストは神社に関する基本的な事柄をQ&A形式にまとめたものです。こちらに関しては知っていることも多く、それほど苦労することはないと判断しています。

もう一冊、「神話のおへそ」というテキストがあるのですが、こちらは大変です。今まで記紀は読んだことがあるのですが、いわゆる流し読みで、どのような神話があるのか、概略理解していただけなのですが、試験で問われるとなるともう少し深く読む必要があると思っています。しかしながら、神様の名前や関係などを頭に入れながら読むとあっぷあっぷですね(苦笑)。本気で臨まないと危ういかもしれません。なお、受験日は6/3(日)です。

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2012年5月11日 (金)

兜神社

鳥越神社から歩くというのは現実的ではありません(苦笑)。普通は日本橋などから歩くことになると思います。日本橋からだと10分ほどでしょうか。
由緒ですが、東京証券取引所が設けられるにあたり、1878年に取引先関係者一同の信仰の象徴および鎮守として造営されたとのことです。証券取引に信仰が必要なのかは私にはよくわかりません(苦笑)。 まぁ、商売?繁盛ということだとは思いますけど。

御祭神は倉稲魂命(うがのみたまのみこと)とのことです。お稲荷さんですね。相殿には大国主命、事代主命とのことです。境内は狭く、道路沿いということもあってお世辞にも静かとは言えません。私が祀られているとしたら閉口してしまいますね、きっと。

境内には兜岩なるものがあります。これが兜町の由来となっています。この兜岩ですが、3つほど伝説があるそうです。

1.藤原秀郷が将門公の首を打って兜と共にここまで持って来たが、兜だけはここに埋めて塚となした。

2.源義家が奥州から凱旋する際に、東国の反乱鎮定のために兜を川のほとりに埋めて塚を築き、これを兜塚と呼んだ。

3.前九年の役の頃、源義家が東征する際に、兜を岩にかけて戦勝を祈願したことから、この岩を兜岩と呼んだ。

うーん、どうなんでしょう(苦笑)。ただ、やはり感じるものはありませんでした。

参拝してご縁を結ばせていただきました。御朱印はいただけませんでした。

参拝日:2012/3/12

※ 拝殿です:2枚目
※ だいぶ消えかかっていますが縁起です:3枚目

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2012年5月10日 (木)

霊性の向上について

●霊性を向上させるためにはどんなことをどんな点に注意して行ったらよいか

レイアウトをしてオプショナルな行動の中で自己実現をする、このような行動の中で自己の達成を試みたところで錆を落とすだけに過ぎぬ。錆の混ざった自意識の改造をいたさぬば何ら改まることはない。工学的構造の中で組み立て、理論的に説明したとしてもただ組立の手順のみ。霊性の向上は理論や筋道だけでは通れない不確かさの中で見極め道を作る。己が己の道を作ることから論理の道が始まる。

不確かさの中から探ること、それが自己実現に向ける第一歩である。生まれ持った生命の本質、そこからすべての磨きが始まっているはず。しかし、物事はうまくは行かぬ。本質そのものを忘れてしまっている。悲しいことに人間として生きるための知恵を価値との混合によって例えようもない物質社会の展開へと発展してしまっている。

確かなものを求めるのが人間の理性である。この理性を越えたところに不確かな存在を求める価値がある。存在そのものを求めるのではなく、虚空の主を捕まえるための励み。地上も空も空間もそのために、そのためだけに存在すると言っても過言ではないであろう。

天高く地上に降りたとしても人間向上の土台は作れぬ。自己の達成のみが実現につながる。私達はあなた方に知恵とヒントを与えるに過ぎない。

神を誇大評価してはならない。神はすべての認識と意識をあなた方と共有しています。神はすべての中から意識作用の融合体としてメッセージを送ります。

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2012年5月 9日 (水)

五行大義ー数を論ずー九宮の数を論ず(5)

ある者が「八卦はどこから生じるのか」と問うた。答えて言うには「天地から生ずる」と。また、「天地は何から生じるのか」と問うた。答えて言うには「太一より生ずる」と。次に「太一は何から生じるのか」と問うた。答えて言うには「易から生じる」と。だから、「周易」では「易に太極があり、これが両儀(陰陽の法則)を生じる。」と言うのである。だから、易の字は変化して太一の字となる。太一の字が変化して天の字となる。天は一を生じ、地は二を生じる。天の字が変化して水の字となる。天は水を生じるのである。水の字が変化して木の字となる。水は木を生じるのである。木の字が変化して火の字となる。木は火を生じるのである。火の字が変化しの字て土となる。火は土を生じるのである。土の字が変化して金の字となる。土は金を生じるのである。金の字が変化して八卦の字となる。八卦は五行によって生ずるのである。八卦の字が変化して十二月の字となる。十二月は八卦の主(つかさど)る月である。十二月の字が変化して地の字となる。万物を出し尽くして最後に地に戻ってくるからである。これが、九宮・八卦創制の法である。

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2012年5月 8日 (火)

京都・大阪神社巡りの旅

今月末に京都と大阪に足を運ぶことになりました。きっかけはいくつかあります。

  • 以前出張で貯めたマイレージが失効するというお知らせがあったこと。
  • そのマイレージで国内ならば2往復分は移動できること。
  • 知人が伏見稲荷大社に参拝した際にあることが起こり、その原因を調査したいと思っていたこと。

こんなところでしょうか。いかにも「来いよ」という感じですね(苦笑)。実際、飛行機と宿は驚くほどすんなりと予約することができました。気になる天気もおそらく大丈夫だと思います。

1往復分ずつ使えば2回行けるのですが、今回、子どもを連れて行く予定です。まぁ、顔見せ、ということでしょうか(苦笑)。子どもは関西地方の電車に乗ることを楽しみにしています。

今、参拝先を検討しているところなのですが、これが難航しています。調べる度に行きたい場所が増えていきます。「こっちにも来いよ」という感じですね(苦笑)。まぁ、時間的な制約があるので最終的には涙を飲んで決断しますけど。

私が足を運ばないといけない何かが京都で起こっているのかな、と少しですが思っています。どちらにしても今月末で何かわかると思います。

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2012年5月 7日 (月)

鳥越神社

JR御徒町駅から歩いて12分ほどの場所に鎮座していました。 幹線道路の側に鎮座していることもあり、境内は騒々しかったです。

由緒ですが、651年、日本武尊を祀って白鳥神社と称したのに始まるとされているとのことです。前九年の役のおり、源頼義、義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り、隅田川を渡ることができました。これを白鳥明神のご加護と讃え、鳥越大明神の社号を奉ったとのことです。

御祭神は日本武尊、天児屋根命、東照宮公です。

さて、北斗七星ラインの神社を巡る、というコンセプトだったにも関わらず、将門公の名前が出て来ません。社名の由来についても先にご説明しましたが、これとは別に、(将門公の首がこの神社を)「飛び越えた」ことから「飛越神社」→「鳥越神社」となった、という話しもなくはありません(駄洒落?)。もっとも、神社側は完全に否定しているようですが。

となると、「将門公にゆかりのある」という枕詞が怪しくなってきます。単に飛び越えただけなら基本ゆかりなどないからです。この説を唱えている加門七海氏の理論が揺らいでいるような気がしているのは私だけでしょうかね(苦笑)。

参拝してご縁を結ばせていただいたのち、御朱印をいただきました。

参拝日:2012/3/12

※ 拝殿です:2枚目
※ 境内社です:3〜4枚目
※ 縁起です:5枚目

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2012年5月 6日 (日)

いたわりとは

いたわりとは心が起こす原動の中でも神が一番必要とするものである。心が起こす原動のなかでも神が喜び、必要とする人間の思いやり、これがこの言葉に要約される。

私はこの言葉が好きである。神の心と人間を結ぶ唯一のつながり。いたわりの中に人間の言霊を入れて思いやる心が大好きである。私の心だから、神の想いだから。

神には言葉はいらぬ。心を通すものだから。この言葉からすべてが神に通じる。この言葉からすべてが要約されて神に通じる。人を想う気持ちがなければこの言葉の持つ意味もかすれたものになろう。

人を想う気持ちから出たものであらばどんな罪もあがなうほどの深い意味を持つ。人を想ういたわりと思いやること、この心あるば何人に対しても罪作ることはない。

無理解の中で自己を作る。優しさよりも自己弁護の要因よりもいたわることの重みを重ね、自己達成とならば神の喜びとするものである。

神は愛の中に愛を作ることと自己の中に己を見つめる目があれば何事もなされると、想う心があれば何人に対しても愛の片鱗はあるものと確約されています。この心があってこその優しさである。いたわりの気もなく自己弁護の優しさは神のもっとも嫌うまやかしである。

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2012年5月 5日 (土)

五行大義ー数を論ずー九宮の数を論ず(4)

また、初めの八卦を作る方法はそれぞれの方位(東・西・南・北・中央)の算に命じ、まず北方の九算を取る。命では「水は木を生じる。一算を縦にして寅の上に置き、一算を卯の上に置き、一算を辰の上に置く。また、一算を横にして甲の上に置き、一算を乙の上に置く。」と言っている。次に東方の九算を取る。命では「木は火を南方に生じ、(算を)五位に配する。」と言っている。また、南方の算を取る。命では「火は土を中央に生じる。一算を西北に置いて戊とし、一算を西南に置いて己とする。」と言っている。また、中央の算を取る。命では「土は金を西方に生じ、五位に配する。」と言っている。また、西方の算を取る。命では「金は水を北方に生じ、五位に配する。」と言っている。これで五方の十干十二支に算を配することが終わり、その後、陰の十干に各々一を加える。命では「陰の数は偶数である。」と言っている。次に陽の十二支に各々一を加える。命では「支の体はもともと始めの数を加える。」と言っている。残った算は十二月の数と同じである。

一算を西北に置く。命には「乾の始めである」とある。二算を西南に置く。命では「坤の始めである」と言っている。また、残りの九算を中央に置いて易の象とする。命では「乾は甲壬を主(つかさど)る。そこで、甲壬の上の算を取ると乾の卦になる。」言っているる。また、命では「坤は乙癸を主る。そこで、乙癸の上の算を取ると坤の卦になる。」と言っている。父母(乾と坤を意味する)の卦は爻の形がすでに定まり、次は六子に及ぶ。まず、長男から始める。命では「震は庚・子午を主る。そこで、庚および子午の上の算を取ると震の卦となる。」と言っている。次は長女である。命では「巽は辛・丑未を主る。そこで、辛および丑未の上の算を取ると巽の卦となる。」と言っている。次は中男である。命では「坎は戊・寅申を主る。そこで、戊・寅申の上の算を取ると坎の卦となる。」と言っている。次は中女である。命では「離は己・卯酉を主る。そこで、己および卯酉の上の算を取ると離の卦となる。」と言っている。次は少男である。命では「艮は丙・辰戌を主る。そこで、丙および辰戌の上の算を取ると艮の卦となる。」と言っている。次は少女である。命では「兌は丁・巳亥を主る。そこで、丁および巳亥の上の算を取ると兌の卦となる。」と言っている。こうして八卦は成立するのである。

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2012年5月 4日 (金)

占いの精度向上計画

以前から易占をしていたのですが、ずっと思っていたことがあります。それは、精度がいまひとつ、ということです。出た卦を解釈する際の問題なのですが、例えば他の人の判断の根拠を調べてみると、なぜそこでそうなる?という疑問が湧くこともしばしばありました。今までは、その部分が易者の腕を決める部分かな、と思っていたのですが、どうもそうは言い切れないようです。

易にもいくつか種類があります。上述のような疑問を持ち続けていた時に出逢った本があります。その本によると占いをするのであれば、別の体系の易を選択するべきとのことでした。その理由も書いてありました。そこには、私が今まで疑問として持ち続けていたものへの、ある意味回答がありました。

ということで、その体系を学んでみることにしました。占い自体は最近ほとんど行っていないので問題ないでしょう(苦笑)。この時期にそんな本に出逢うのも意味があることなのでしょうね。もっとも、それを実感するのはもっとあとになってからなのでしょうけど(苦笑)。

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2012年5月 3日 (木)

桜稲荷神社

当然、鳥越神社から始まるべきなのですが、地図を見ると、同社までの道のりの途中にあったので寄り道することにしました。名前に惹かれた、というのが正直なところでしょうか。

住宅と住宅の間の細い路地の先に鎮座していました。JR御徒町駅からだと歩いて6分ほどでしょうか。

由緒ですが、東京大震災後、当時、藤堂家邸内に鎮座していた稲荷神社の放置・荒廃を案じた岡本氏が世話人となって当地に新たに神祠を建立・遷座して「桜稲荷神社」と奉称したとのことです。第二次世界大戦中に空爆により焼失したのですが、同氏が再建、隅井氏が京都伏見稲荷大社より御分霊を勧請、鎮座したとのことです。ということで、御祭神は宇迦之御魂神です。

お稲荷さんには欠落した痕跡がありましたが、丁寧に補修されていました。地域の人々に大切にされているのだと思います。

参拝してご縁を結ばせていただきました。御朱印はいただけませんでした。

参拝日:2012/3/12

※ 拝殿です:2枚目

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2012年5月 2日 (水)

優しさについて

●優しさについて

優しい、優しさとは言語に値する価値ではないが人の喜びとするところが裏目に出ることが多い。

優しさは本来、いたわりとか思いやりの心として使われるが、心の価値の求めるものはこの優しさは「狡さ」と出る。狡い心が引き起こす原動。心の価値の求めるものではない。互いのいたわりの中に求める価値として使われるものであらばよいが、人間界においては求めるものの違いでこの優しさが頻繁に使われる。

心の価値は、この優しさによって見間違えられておる。人へのいたわりを優しさとはき違え求める心に優しさの価値をつける。本来、優しさの価値など互いの裏読み。心の求めるものに価値を付けたに過ぎぬ。優しさの心、優しさの与え、付随する心が求めた価値、人間の求める絶対的な価値がこの心の優しさであろう。

神は人間の心にこの価値を求めたが人間の心は都合良く作ってしまう。優しさの裏表、付随する価値の根底に人間の弱さ、身勝手、価値観の相違から逃げる心、いたわりを優しさにすり替えて頻繁にこの言語を使用する。

この言葉の持つ意味は人間の弱さ、身勝手に生きるための原動、求めるものの違いから生じる価値観のズレを性格的欠点として埋めることもできず、互いに角を隠して寄り添う偽善。優しさとはいたわりぞ。心の起こす原動が他者へのいたわりとならば、何物にも変えられぬ。見間違えることにて心を尽くせば罪作りなこととなる。

優しさとは愛しさ、愛しさとは心。心が求めたものであらば何事にも変えられぬ。想いが呼ぶ、この心なくば偽善的精神の中での独りよがり。心の認識が違う。

●優しさが必ずしも相手にとってプラスになるとは限らないが、何を拠り所として判断すればよいか

心の拠り所、何を以て優しさが相手のプラスになるであろうか。優しさの意味をはき違えてはおらぬか。独りよがりの偽善である。

本来の優しさとは互いの心の結び付き。結び付きの中からいたわりとして出る言葉ぞ。相手に与える影響なぞ考えていたのでは価値観の認識が違う。心の基から考え直さねばなるまい。相手を求め、与える影響が優しさであったなら心の価値が違う。相手に与え、何物も求めずであったとしてもそれも違う。

心の起こす原動、これ以外に何物にも値する価値はない。へりくだった物の見方をするでない。自己のエゴである。

ボロを隠し互いの価値と認識の違いを言葉で隠す原動が優しさである。言葉の持つ意味を流暢に操る原動が起こした自己の非愛である。単純な言葉ではない。

愛しき者達の中から優しさを選べと言われれば簡単ぞ。見栄えにつながる優しさで頬かむりをしておる。自己満足の中から他者へ与える影響として慢心の中からエゴの強さが出ておる。

人への値とするところは心の価値が求めたもの。優しさの言葉で隠して引きずる原動は自己の都合である。

優しさなる言葉は都合良く使われる隠れ蓑。何が優しくて何が良いのか。心の引き起こす原動に勝手な注釈を付けて判断を仰ぐでない。

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2012年5月 1日 (火)

五行大義ー数を論ずー九宮の数を論ず(3)

だから「黄帝九宮経」には「九を頭に載せ、一を履み、三を左にし、七を右にし、二と四を角とし、六と八を足とし、五を中宮に置き、すべての得失を制御する。」とある。

その数は、坎が一、坤は二、震は三、巽は四、中宮は五、乾は六、兌は七、艮は八、離は九である。太一が九宮を巡行する時は一から始めて数が小さい方から大きい方へとその数の順序に順う。(以降、算木を用いて九宮の配分について述べる。)算を配当して次のように説く。「中央と四仲(上図で言うと五、一、三、九、七に相当する)にそれぞれ九算ずつ分けて置く。命(告げる言葉)に『木落ちて本(もと)に帰る』とある。そこで、六を分けて亥の位置に持って行く。つまり、震の位置から六算取って乾の位置に置く。(同様に命によると)『水が流れて末に向かう』とある。そこで、八を分けて丑の位置に持って行く。つまり、坎の位置から八算取って艮の位置に置く。『金の性質は義であり、しかも堅い』とある。そこで、二を分けて未に返す。つまり、兌の位置から二算取って坤の位置に置く。『火はその本性は炎が燃え盛る』とある。そこで、自分の位置に居て動かない。つまり、離の位置の算は動かない。『土は四季を治めるが初めは巳に生じる』とある。そこで、中宮の位置の四算を分けて巽の位置に置く。こうして、九を頭に載せて一を履むという位を成すのである。」と。

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2012年4月30日 (月)

GW

いつもまとまった休みが取れるGWには何らかの計画を立てています。遊びに行く計画というよりも、勉強の計画の方が多いです。今年も課題をいくつか上げているのですが、すでに、崩れかかっています(苦笑)。というのも、GW突入直前にソフトウエアの不具合に気付いたからです(苦笑)。

まず、今回触っていないソースのはずです。それが原因をわかりにくくしています。何度やっても再現するので問題があるのは確かなのですが、原因に心当たりがありません。取りあえず、突入前に調査した内容を整理する必要がありそうです。

といった作業が割り込んできました、義務ではありませんが(苦笑)。考えるだけならどこででもできるので対応する予定ですが、お陰で予定がスタートから崩れてしまっています。まぁ、そういうパターンもよしかな、と思いながらやることにします。

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2012年4月29日 (日)

北斗七星ラインを巡って来ました

先日と言ってもかなり前になってしまいましたが、簡単にお話しした「北斗七星ライン」を巡って来ました。行ったのは3/12の月曜日です(苦笑)。なぜこの日なのかと言うと、たまたま休みを取っていたこと、天気がとてもよかったことが主な理由です。

該当する神社のうち、いくつかは参拝したことがあるのですが、今回、頭(鳥越神社)の方から胴体(鎧神社)に向かって歩いて参拝して来ました。歩くことで、結界を再構築しよう、という意図がありました。ただ、歩くとなると総距離20kmを越えることが予想できます(苦笑)。1年前は(出張していて、奈良方面を)30kmくらい歩いていましたが、このところそんなに歩いてはいないのでちょっと心配でした。

今回、特に興味があったのは水稲荷神社です。将門公調伏の役割を与えられた神社です。この神社の役割を見極めるのが目的の一つだったのですが、昔はともかく、現在では「調伏」としての機能は失われたようです。社の主がそう申しておりました。

結果的に、今日1日で22kmほど歩きました。交通機関を使えば楽だったのですが、歩かないといけない理由がありました。今後、足が痛くなるとは思いますが、すべての目的を達成できたのでよしとします。

後日、各神社についてご紹介したいと思います。

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2012年4月28日 (土)

職業について(仕事の持つ意味について)

条件にもよる。職業を選ぶ権利にも因るが、選択肢にも因る。

仕事とはあがないによる権利の祝福である。この選択肢は自己の能力イコール物理の価値によって決まる。仕事を得ることであがなう力が自他共に認めるものであるならば良いが、選択肢による分別が時として価値の違うものにあることがある。

仕事とはあがなうものの力が自他共に認め、反復する力の反動である。

●職業(仕事)により得られた収入をどのように理解したら良いか

権利の主張であり義務の遂行である。職業に関わる者達が自己の財源として与える力が源となって個々の能力を開発して義務の遂行をする。この糧を得るための財源の確保。職業と仕事は関わる互いの支えの中で活かされるように仕掛けられた支柱である。互いの持ち寄りで活かされるよう、選択の中で分別を付けて活かせば良い。

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2012年4月27日 (金)

五行大義ー数を論ずー九宮の数を論ず(2)

「尚書」洪範には「第一は五行であること(位は北方にあり、陽気の始まりで万物がまさに始まろうとする)。第二は謹んで五事を用いる(位は西南にあり、謙虚にして徳を身につけ、朝廷にめでたいことを申し上げる)。第三は(民の生活を厚くするために)八政を行うこと(位は東方にあり、種々の穀物を耕して植え、麻を育てて蚕を飼う)。第四は叶えるのに五紀を用いること(位は東南であり、日、月、星辰や雲、雨を生じさせる)。第五は政治を行うのに皇極(中正をなす道のこと)を用いること(位は中宮にあり、諸官が君主に文章を奏上し、政治が公卿によって行われる)。第六は(民を)治めるのに三徳を用いる(位は西北であり、暴力を押さえて訴訟を裁定する)。第七は(卜と筮を使って)疑問な点を考える(位は西北であり、吉凶を決定し、疑問のあるところを判断する)。第八は天の気候に表れる良いしるしと悪いしるしを考え用いること(位は東北にあり、君主の行いが厳粛であれば徳となり、狂僭ならば世が乱れる)。第九は五福によって人を奨励し、六極によって人を脅かして善に向かわせること(位は南であり、すべてのものが満ちて成就し、陰の気が遍く行き渡り、その時は四季を司る土徳となって陰陽を調和し、五行を乱すことがない)。」とある。

  • 五事:体についた五種の働きを意味する。貌・言・視・聴・思を指す。詳細は調査中。
  • 八政:八種の政教を意味する。詳細は調査中。
  • 五紀:調査中。
  • 三徳:三種の徳を意味する。詳細は調査中。
  • 五福:五つの賞を意味する。詳細は調査中。
  • 六極:六つの罰を意味する。詳細は調査中。

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2012年4月26日 (木)

相応の罰を受けるべきですね

先日、京都は登校中の児童の列に軽自動車が突っ込むという事件が発生しました。
犯人は18歳でしかも無免許運転だそうです。

2名死亡したのですが、現時点では18歳ということもあり、「少年」とだけしか報道されていません。いつも思うのですが、殺人を犯しても、年齢で実名報道されない、というのはおかしいですね。もっとも、これにはそれなりの理由があるのでしょうが、やっていいことと悪いことの区別がつかないような年齢ではないはずです。

結局、自分の身勝手な判断で2名の命を奪ったわけなので、それに相応する罰は受ける必要があります。例え法律が許したとしても、自分の行為が起こしたツケは自分に返って来ることでしょう。

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2012年4月25日 (水)

築土八幡神社

有楽町線「飯田橋」から歩いて3分ほどの場所に鎮座していました。当初、参拝する予定はなかったのですが、たまたま地図を見ていたら目についたので行ってみることにしました。

創建は不明のようですが、「嵯峨天皇の時代に...」と言われていることから、809年〜823年頃だと思われます。これには八幡神のお告げがあったと言われています。その後、慈覚大師が来た際に祠を立て、伝教大師の作と言われた阿弥陀如来像が安置されたそうで。それにしても、凄い面々が登場していますね(苦笑)。

境内は鳥のさえずりで溢れていましたが、周囲で工事をしているせいか、その音がやけにうるさかったです(苦笑)。本来ならばとても静かな場所なのでしょうね。工事が終わった時期に来てみたいものです。

普通、御朱印は有料ですが、ここではいらないと言われました。とは言うものの、お賽銭ではなく、御朱印で納めることにしているので受け取っていただきました。こういう神社、神戸にもありましたが、珍しいですね。

参拝してご縁を結ばせていただいたのち、御朱印をいただきました。

参拝日:2012/3/3

※ 石造鳥居です。新宿区登録有形文化財に指定されています:2枚目
※ 拝殿です:3枚目
※ 境内社です:4枚目
※ 庚申塔です。新宿区指定有形民俗文化財に指定されています:5枚目
※ 縁起です:6枚目

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2012年4月24日 (火)

調和について

御霊に汚れなき、けがれなきものであらばすべての調和も成り立つであろうが、人間界に降りたることでその調和の心も忘れられてゆく。人の心の成り立ちが心の求めるものであらば誰一人傷付けることもないが、自我の破損、自我の損失、自我の分別がつかないことで自者と共に他者へのとっかかりとなり傷付けることが多い。

他者への依存も含め、自我の損失がいかばかりか認め得れば心の損失も少なくて済むが、自己を省みず他者へのけん制とならば深い洞窟に身を沈めることになる。

真の調和とは心の成り立つ縁である。人への気配り、気苦労、すべての価値が一体とならば縁で結ばれた兄弟達である。誰一人傷付くこともないが、調和の中に複合的産物が介入することでこの意識も薄れてゆく。

複合的産物とは価値の違いでこの世に誘われた者達である。人格形成成り立ちの前に前人格が備わっている場合もある。持ち越してきた者達である。魂の損失および欠陥、再びの世で生きるを前提として心の調和を計られてもなかなか理解に値しない。悲しみも苦しみも乗り越えての価値あらば、互いの心の共存として生きる価値も掴めるものであろうが、他者に対する依存が激しいほど自己の存在を脅かす者として他者へのけん制も激しくなる。

調和とは心の心理(真理?)である。深い洞察の中に互いに歩み寄りの心があらばその中に互いの心の価値を認め、愛することもできよう。認め得ぬものであらば理解に値しない存在として心の空洞、心の廃墟、満たされる者なき存在としてこの世に生きる意味も掴めず謙った物の見方、価値観の相違で人を卑しめることであろう。

心が求めるものは心の価値である。心の共存が深層心理である。この価値が互いの心をつなぐ縁、深い懐に抱かれたつなぎの糸である。神とつながる唯一の糸である。この糸を己の心で切るでない。すべてがつながる糸である。私を求めた時、心がつながる糸であらば私はあなた方の心を読むことでしょう。

●自分を殺して他人に合わせることが調和なのか

生かさず殺さず。調和を唱える心は互いの価値観の認識の基で互いを引き寄せる原動ともなる。心の重なりが互いの心を必要とするから互いの価値を尊重するところから調和は生まれる。心を殺してまで生まれる調和であらばそれは我慢である。縛れる心、露草の垂れる淋しさであり怒りである。

真の調和は互いに必要とするものである。理解なくば何事もなされぬ。人間界においては複合的産物も多い。価値観の違った認識あれ。すべての中から活かし、すべての中から心がけられよ。すべての形あることで我が(自分)心の道も開かれることを。心の価値、目覚めた時、そこはすでに調和の世界に入り、みもとの輝きとなっているはず。

光あることの楽しみを知りなさい。

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2012年4月23日 (月)

五行大義ー数を論ずー九宮の数を論ず(1)

九宮は上は天を分け、下は地を分けるのにおのおの九つの方位をもってする。天は二十八宿と北斗九星で分けており、地は四方と四維と中央に分けている。分けて九に配しているが、それぞれを宮というのは皆、神の行くところだからである。だから、宮と名付けている。てい司農(ていしのう)は「太一(北極星)は八卦の宮を巡り、四ごとに中央に入る。中央は地神の居るところであり、これを九宮と言うのである。」と言っている。「易緯乾さく度(えきいけんさくど)」には「易は陰と陽の道理をもって表すものである。だから、太一はその陰陽の数にしたがって九宮を巡るのである。」とある。易経(繋辞上伝)には「天は一、地は二、天は三、中地は四、天は五、地は六、天は七、地は八、天は九、地は十」とある。天地の数は合計すると五十五になる。九宮で用いる数は天の一、地の二、人の三を除いたものであり、余りは四十九となる。これは筮竹の数にあたる。また、四時の四を除くと余りは四十五になる。五とは五行のことであり、四十とは五行の成数である。この二つを合計すれば四十五となり一節の数となる。これを分けて五方におくと各々が九となり、一時(四季のそれぞれ)は九十日の数であり、四方は四時となる。三つの宮は縦・横・斜めで足し合わせると十五となり、これは一気の数であり、(足し合わせると)二十四節季(一年)となる。

  • てい司農:人物名。詳細は調査中。
  • 易緯乾さく度:調査中。

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2012年4月22日 (日)

UIView上の背景だけを透過する方法

UIViewにボタンなどのViewが乗っているのが普通の状態だと思うのですが、背景を透過させたいことがあると思います。

UIView *view = [[UIView alloc] initWithFrame:CGRectMake(0.0f, 0.0f, 100.0f, 100.f)]];

// ここでViewにボタンなどを追加したとする

view.backgroundColor = [UIColor whiteColor];
view.alpha = 0.7f;

こうやると、確かにViewは透過するのですが、その上に乗っているView(例えばボタン)なども透過してしまいます。

このような場合、下記のようにすると、Viewだけ透過させることができます。

view.backgroundColor = [view.backgroundColor colorWithAlphaComponent:0.5f];

お試しください。

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2012年4月21日 (土)

築土神社

このところ仕事が忙しく、土日も仕事?をしていたのですが、さすがに今日は天気がよかったので子どもと一緒に参拝して来ました。

東西線「九段下駅」から歩いて1分ほどの場所に鎮座していました。この神社、平将門公を祀っていることもあってか、このところ(3週間ほどでしょうか)、ずっと気になっていました。

将門公の首を祀り、「津久戸明神」として960年に創建されたとのことです。当初は、将門公の首そのものが社内に安置されていたと言われ、将門信仰の象徴的神社になっていました。今では、天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)が主祭神、平将門公、菅原道真公が配祀されています。

参拝してご縁を結ばせていただいたのち、御朱印をいただきました。

蛇足です。この神社、今回が初めて参拝したと思っていたのですが、ずっと前、情報処理試験の受験でこの地を訪れた際に立ち寄っていました(苦笑)。縁があるのかもしれませんね。

参拝日:2012/3/3

※ 拝殿です:2枚目
※ 境内社です:3枚目
※ こんなものもありました:4枚目〜6枚目
※ 後ろ側から見るとこんな感じです:7枚目

2012_0303_tukudojinjya_2 2012_0303_tukudojinjya2 2012_0303_tukudojinjya3 2012_0303_tukudojinjya4 2012_0303_tukudojinjya5 2012_0303_tukudojinjya6 2012_0303_tukudojinjya7 2012_0303_g_tukudojinjya

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2012年4月20日 (金)

政治について

●政治が乱れる理由

政界が乱れるほどの惨事があっても権力の総長たる者、微動だに動かぬ。政治の中にあっては個人の力など露ほどの価値もない。政党、派閥の駆け引きの中ですべて目論見通り行われれば、価値なきものの存在などなきに等しい。

政界との癒着による権力との駆け引き、ここに政界、派閥、政治の乱れが生じる。政治の乱れは個々の癒着が生んだ引き落とし。弾丸丸めて突っ込めば才覚の将も我が身危険と角隠す。

●政治は本来どうあるべきか

民衆、民あるべき経済が行われ、民のため、潤いあっての政権である。しかし、今の時代は民もまたあるべき姿ではない。繁栄の中にあって求めたものは利益である。利益の頂点がぼろくずと化し蝕んだものは人間の心である。

政治と経済は密着な関係にあり、経済の繁栄がもたらしたものは政界の腐った商魂である。政治には個々の力は反映しにくい。おおまかな予測の元ですべての価値が誘われてゆく。

誘いの中で誘われるのは腐敗しきった政界の黒幕(官僚)達である。物欲、利欲、すべてが求められる価値観では民のための政治は行われないであろう。政権の癒着、官・民・政権に委ねられた官僚主義では民の力も及ばざるがごとし。

●政治と宗教の関係はどうあるべきか

他国においては政治と宗教は密接な関係にあるが、日本国においては宗教の価値観が他国に比べて複雑であるがゆえ、足並み揃えてというわけにはゆかぬであろう。宗教の価値観はその者が治むればよいことであるが、徒党を組んで価値を人に誘うのであらば宗教の価値などないに等しい。政治と宗教が絡むと独断的権力の弾圧にもつながり、政治への介入はいたさぬ方がよろしい。

どのような形であれ、宗教が絡むことによってその価値観が前面に出る。政治と宗教は絡みなきことの方が喜ばしい。

●世界がひとつになるために政治にできることはあるのか

あてにはならぬ。政治は経済である。国と国のつき合いである。官・民が互いの友好としてできる挨拶程度のもの。世界の平和のためできることは個々の生命体のエネルギーを他国への援助として価値ある者達救えるように祈ること。他国の縁が救い人達の手で価値ある存在として廻るよう祈ること。文化の証とし生きた者達に心の平和が巡るよう。

物質的価値で与えられるものなら援助にもなろう。しかし、他国の政治が人々を苦しみの中に置くのであらば何事かをでき得るであろうか。物質的援助が末端の苦しみの中にいる者達をどれだけ救えるのか。悲しい中にもその心を見る時、神はすべての価値はないに等しいのではないかと迷う。

迷いの中でも慈しみ、人、人として生きる心を神は受け取らねばならぬ。世界の平和は我が心。人類の生命守るのが我が価値。手綱を下げて神は祈る。神の心にすべての価値が甦るように。

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2012年4月19日 (木)

五行大義ー数を論ずー納音の数を論ず(5)

さて、干の配当は、まず父母に従うことを始めとし、その後に六子に及ぶ。甲を乾に付け、乙を坤に付け、丙を艮に付け、丁を兌に付け、戊を坎に付け、己を離に付け、庚を震に付け、辛を巽に付けて八卦を一巡して終わる。壬は戻って乾に至り、次の癸は坤に至る。十干の配分された六爻のうち、乾・坤の位は尊いので十干の始め(甲・乙)と末(壬・癸)を取るのは当然である。こうして乾・坤の体はそれぞれ二干を得るのである。十二支は各爻に正しく用いられている。だから、卦ごとに皆十二支が備わっているのである。陽の卦はその陽の支を取り、陰の卦はその陰の支を取る。四卦(乾・震・坎・艮)は同じく陽、四卦(坤・巽・離・兌)は同じく陰であるが、(六子の卦は)父母(乾・坤)と同じではない。伏義は八卦を画(かく)して三爻とするにあたり、天・地・人の三才を備えた。干に分ける理由は、卦は陰と陽と別々に三爻を取り、乾坤は始めにあるので甲(陽)と乙(陰)を取る。後になって、神農が三爻を重ねて八純子を作った。これには、重ねて来るという意味がある。卦の六干、並びに父母を同じにする理由は、二つとないという意味である。だから、後の卦(乾・坤の上の三爻)は壬・癸を取るのである。その甲・乙・壬・癸の各々三を少(か)くのは皆(三爻を)排(はら)ってしまい虚用の中にあるからである。全くないということでないのは、陰(虚)は陽(実)に従うという意味があるからである。

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2012年4月18日 (水)

iPhone開発でお薦めの書籍

実は、結構たくさんの書籍を読みました(苦笑)。中には失敗したな、と思えるものもあったのですが、機会があるごとに目を通しているものも何冊かあります。そんな書籍をご紹介しようと思うのですが、あくまでも自分のレベルを基準にしています。したがって、人によっては簡単だったり難しかったりします。あくまでも参考ということで、購入前には書店で実物を確認してください。

  • 「iPhoneプログラミングUIKit詳解リファレンス」
  • 「iOS開発におけるパターンによるオートマティズム」
  • 「iOSプログラミング 第二版」
  • 「iPhoneアプリ開発のコツとツボ35」

個人的な感覚ですが、和書より洋書の方がわかりやすいものが多いような気がしています。もし、英語に抵抗がないようでしたら、そちらを読んだ方がアドバンテージを保てると思います。ご参考まで。

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2012年4月17日 (火)

久國神社

こちらも知人と参拝させていただきました。赤坂氷川神社から歩いて5分ほどの場所に鎮座していました。

創建は不詳ですが、現在の皇居内に鎮座していたそうです。江戸城築城などがあり、何度か遷座したようです。現在地に遷座したのが1741年とのことです。御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)です。

階段を登ると左側が児童遊園となっていました。右側に社殿がありました。こじんまりとした神社でしたが、(なぜか)味があると思いました。それから、この神社は「港区七福神」の布袋様のようです。神社入り口の看板にそう書いてありました。

参拝してご縁を結ばせていただきました。御朱印はいただけませんでした。

参拝日:2012/2/5

※拝殿です:2枚目

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2012年4月16日 (月)

宗教について

宗教について論じるには難しいものがある。日本国は昔から、神代の昔から宗教的儀式が数多く残されている。神、仏敬う心、体系的儀式の中にもその名残りを今も残す。神が神であり、仏の教えが菩薩であろうと、その信仰が人々を安らぎの境地に導いたことに他ならぬ。

名残りを留めた宗教がいろいろな形に変化してその時々の指導者によって分散化されたのも致し方のないことやも知れぬ。しかし、宗教とは教え導かれた者達が、まこと心理の道歩めなければ如何ほどの道理があってもそれはただの縛宗である。縛られた教義の中では、どんな形でも仏の心にはほど遠い。神、仏敬う心あるならば、それはどんな形でも心が仏の道を呼び覚ます原動力にもなる。

神は総ての者達にその心があるかと問うておられる。人を縛ることが宗教の教えではない。姿の見えない神、仏に姿形をつけることで安心しているのではないか。偶像崇拝で心、ここに示しているのではないか。否や何人も本質的には真を求めているのではないだろうか。先祖より崇められた信仰を簡単には捨てられぬ。しかし、今の世は真実を求めている。まことの実在あることを求める。幽玄無大な光があろうと、そこに姿、形がなければ誰も信じようとしない。求めながらも信じることには否定的である。

雑多な宗教であらば信じないほうが幸福かも知れぬ。束縛と向背に動くならば、神そのものを否定したほうが人間らしく生きられる。

神は孤立した存在ではない。個々の生命体の中にもその光浴びるべくすべての意識が眠っている。心が神とつながる超意識であることに気付いて欲しい。

宗教者、神社、仏閣に札束が乱れ飛ぶご時世ならば、仏の教えも教義も意味のないこと。人救いにも金のかかるご時世、信じることが救われる世ではなくなった。あまたの宗教者の中には真の真実を求める者も少なからずおる。

「ボロまとい布教に歩いた昔が偲ばれる」

無明、向上。
煩悩の歪みに惑わされることなく真理の頂点極め、普遍なる星の下で三度生まれ変わっても、状態が保てるほどの自在、変化となられますよう。

我の中に神は存在し、我の中に生きるが生命体であることに気付かれますように。生命の秩序が保たれますれば何人も神の権現であることに気付き、宗派の乱れにも臆することなく、人知を越えた世界があることに気付きませう。

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2012年4月15日 (日)

五行大義ー数を論ずー納音の数を論ず(4)

八卦に干を付し終わり、次に支を付す。震は長子である。だから、震の卦の初九は乾の子を得、九四は乾の午を得る。震の干は庚なので、子午は庚に属する。巽は長女である。子の後は丑であるので巽の卦の初六は坤の丑を得る。午の後は未であり、巽の卦の六四は坤の未を得る。巽の干は辛なので丑未は辛に属する。(以下、同様に考える。)坎は中男である。丑の後は寅であり、坎の卦の初六は乾の寅を得る。未の後は申であり、坎の卦の六四は乾の申を得る。坎の干は戊であるので寅申は戊に属する。離は中女である。寅の後は卯であり、離の卦の初九は坤の卯を得る。申の後は酉であり、離の九四は坤の酉を得る。離の干は己であるので卯酉は己に属する。艮は少男である。卯の後は辰であり、艮の卦の初六は乾の辰を得る。酉の後は戌であり、艮の六四は乾の戌を得る。艮の干は丙であるので辰戌は丙に属する。兌は少女である。辰の後は巳であり、兌の卦の初九は坤の巳を得る。戌の後は亥であり、兌の九四は坤の亥を得る。兌の干は丁であるので巳亥は丁に属する。六子が取った干は乾坤に配当した以外の余りの干である。六子が取った支も同様に乾坤に従って得たものである。陽は乾を取り、陰は坤を取る。これらは皆父母に受けたものであり、したがって六子も同様に十二辰(十二支)を主(つかさ)どる。人の納音も皆これを継承するものである。

甲・乙・壬・癸を納音としないのは乾坤に属するからである。ある人が「六子は干を用いれば父母の用いない干を取り、支を用いれば父母と同じ支を用いるのはなぜか。」と問うた。答えて言うには「干は陽であり、陽の本体は奇数である。だから、一回得たものを分けて用いる(つまり、一度用いた干は再び用いない)。支は陰であり、陰の本体は偶数である。だから、二巡してこれを分けて用いるのである。」と。また、「亀卜は日辰のうちの日を用いる。そこで、十干に求めるのである。だから、表れた兆しは十通りに分かれるのである。筮卜は日辰のうちの辰を用いる。そこで、十二支に求めるのである。だから、飛伏の六爻はすべて十二支を論ずるのである。」と言う。また、体(ここでは八卦を指す)は兼ねないと言っても互いに配されるのを須(ま)ってから意義を明らかにする。干は尊いものとするので先に設けてその後に支を求めるのである。筮卜は干を用いないと言っても干の助けを須ってからその様子を顕すのである。それはちょうど(十干を用いる)亀卜が十二支をあきらかにするのに兆の形に支の象がないにも関わらず、必ずこれを要約して論ずるようなものである。筮卜は三甲・三乙・三壬・三癸を欠くといっても、虚を簡約して実を求めたものである。

  • 飛伏:卦の表れたものを飛、表れないものを伏という。京房易の説。

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2012年4月14日 (土)

神社検定

こんな検定ができていたのですね。名前から想像できるように、「神社が好きな方、日本文化をもっと知りたい方のための検定」です(苦笑)。主催者側の話しを聞いてみると、現在、空前の神社ブームなのだそうです。個人的にはそんな雰囲気はあまり感じないのですが、確かに、前ならいないよなぁ、と思えるような人種を見ることが多くなったような気がします(苦笑)。

今回が初めてらしく、6/3(日)に行われます。時間は90分、すべて4択のマークシート方式で100問、合格は70点以上です。出題先の公式テキストも発売されています。今回は3級です。来年以降2級、1級と順に増えて行く予定とのことです。

個人的には、こういった勉強をするのもいいかな、と思って公式テキストを購入しました。まだ全部は読んでいませんが、知っていて損はないと思います。実用的な知識も身に付きます。ただ、まだ検定自体には申し込んでいません(苦笑)。申し込み期限が5/10なので、それまでには申し込む予定です。つまり、受験します(笑)。

興味がある方は下記へどうぞ。プチ検定があり、どんな感じの問題が出題されるのか、雰囲気がわかるようになっています。ちなみに、やってみましたが、1問間違えてしまいました(苦笑)。
http://www.jinjakentei.jp/kenteitoha.html

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2012年4月13日 (金)

鈴降稲荷神社

知人に赤坂氷川神社を紹介して一緒に参拝することにしたのですが、せっかく赤坂まで足を運ぶので、周辺にある神社にも立ち寄ってみようと思い、探したところ、この神社を見つけたので足を運んでみました。

丸ノ内線「赤坂見附」駅から歩いて5〜6分ほどだと思うのですが、最初ということもあり、もう少し時間がかかったと思います。入る道を間違えるとちょっと見つけにくいかもしれません。

実際に行ってみるとわかりますが、私道の奥にあります。神社の定義がよくわかりませんが、神社と呼べるのかどうか...(苦笑)。興味がある人は一度足を運んでみてください。

参拝日:2012/2/5

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2012年4月12日 (木)

教育について

体験的裏付けの元で基礎的な価値を植え付け、教職者達の心構えの中で教科書通りの義務を遂行することであるが、現代の盛りの中で基の数値の価値を問うたところで納得できる素材はあり得るであろうか。
教育とは価値観の相違であるが、教えるもとの心構えがちと違うのではあるまいか。父母のもと、我が子のことを想いよかれとすることが時には心を忘れた躾けになっておらぬであろうか。幼き時の躾けなど心を植え付けることで充分じゃ。遊びの中でころび、喧嘩の中で痛みを知る。この遊びが充分なされているだろうか。痛みとは我の中から知る以外、どのような形で知ることができようか。

遊びの中から充分知ることができたのに、今は知ることすら数が少ない。心の痛みを肩代わりする者達が幼子の躾けに介入し過ぎることで真の遊びを知らぬ。先に先にと心配するあまり、形だけの言葉で子を誘っているのではなかろうか。

教育も躾けも親の形が表れる。子らのせいではない。よしんば心配のあまり泣く親も多かろう。泣けばよい。泣いて子が立ち直るなら親子の責任で泣くがよい。

子を持つのも親なら親を持つのも子ぞ。思うようにゆかぬはどちらも同じ。どのように理解すればよいのかを探るのが勤めぞ。価値観の違いをぶつけて子を誘いて道徳という行為の中へ連れ戻そうとしても相違の対象となった者達を残りカスの火の中で育ててもくすぶり続けるだけじゃ。原動が起こす行為は退廃的である。

現場にしてもそうじゃ。教育者達のガチガチ頭でこの時代の子は遊びを知らぬ。教科書通り義務を遂行する。

育てるのではなく子は育つのじゃ。自分の意志の中から育つ芽を育て楽しんでいるのにその遊びを許さぬ。これが現代の教育の在り方であろうか。

教育とは支え合う一本の柱である。どちらが倒れても支えにはならぬ。小競り合いもあろう。摩擦もあろう。時には火を噴くこともある。どちらかが受け止めれば倒れることもない。骨組みさえ揺るぎなければはめ込むこともできる。時には緩み、きしむこともあろう。しかし倒れることはない。

しかし、今の時代ではどちらも倒れる。崩れていくのである。なぜなのか。基本的な価値観が昔と変わっていることを悟らねばならぬ。時代の波。この波が子ども達と教育現場に大きく関わってきている。

どちらの責任でもない。子が親の価値観の中でしか生きられぬからじゃ。子が育つことを知らぬ親は育てることに必死になり子どもの心を封じ込めるがゆえ、子はいつも結末がない決着のつかない心のまま行動を起こしているに過ぎない。

親や周りがいつも結末を心配して頭を悩ます。子は考えなくて済む。それぞれの値の中に子を誘いて失敗するのであらば子の値の中で生きることも周りの勤め。憶えることから知る。何度でもこの繰り返しがなされておらぬのではないか。

親は子であり子は親である。教育は支えであり柱である。どちらも倒れるわけにはゆかぬ。現代のつじつま合わせに子の罪を背負いて泣く親哀れ。泣く子を育てて親が泣く。矛盾の中に現代の気風があるように思われる。

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2012年4月11日 (水)

五行大義ー数を論ずー納音の数を論ず(3)

さて、陽はものに施しを与え、陰はものを変化させる。だから、五行の気を受けて形を定めるのは皆、陰陽を元としてこれを養い育てるのである。そういう訳で、人が属するところは皆、陽数で言うのである。

子午が庚に属することの例を挙げると次のようになる。乾は八卦の中で父であり、坤は母である。両方合わせて6人の子供がいる。だから、(「周易」説卦伝には)乾は三人の男子を将(ひき)いている。震・坎・艮である。坤は三人の女子を将いている。巽・離・兌である。陰と陽は互いに生じる。だから、乾については女(むすめ)を索(もと)め、坤については男(むすこ)を索める。つまり、乾は一たび陰を索めて巽を得、これを長女と言い、再び陰を索めて離を得、これを中女と言い、三たび陰を求めて兌を得、これを少女と言う。坤は一たび陽を索めて震を得、これを長男と言い、再び陽を索めて坎を得、これを中男と言い、三たび陽を求めて艮を得、これを少年と言う。

甲は陽干の始めであるから、乾の下卦の三爻を取る。壬は陽干の最後であるから、乾の上卦の三爻を取る。乙は陰干の始めであるから、坤の下卦の三爻を取る。癸は陰干の最後であるから、坤の上卦の三爻を取る。(甲・乙・壬・癸を除くと)余りが六干ある。その六干のうち、陽干を六人いる子供のうち、男(むすこ)につけ、陰干は女(むすめ)に付ける。甲乙のあとは丙丁であるから、丙を少男の艮に付け、丁を少女の兌に付ける。(同様に)丙丁のあとは戊己であるから、戊を中男の坎に付け、己を中女の離に付ける。戊己のあとは庚辛であるから、庚を長男の震に付け、辛を長女の巽に付ける。このように配当するのは少(わか)いものから順に年長に付け、小より大に及び、微かなものから著しいものに至るからである。

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2012年4月10日 (火)

独断と偏見:こんな神社ありですか?

基本、週末には神社・仏閣を巡ると、必然的にいろいろなことを見聞き・体験します。最近は、こんな神社ありですか?と思えるような神社に出逢うことが多くなりました。

ということで、独断と偏見で行く価値のない神社を実名でランキングすることにしました。人をきちんと扱えないところが、もっと漠然とした神をきちん と扱えるはずがない、というのが基本的な発想です。なお、今後、参拝を続けて行くと順序が逆転する場合もあると思います。あくまでも現時点での順位という ことでお願いします。それから、これはあくまでも私にとってです。したがって、私にとっては最悪でも他の人にとっては最高、ということも理論上はあり得ま す。

第1位

  • 銭洗弁財天宇賀福神社(鎌倉)
  • 正月に参拝に行った際、御朱印をぞんざいに扱う職員がいた。また、腕組みをして椅子にふんぞり返っている神主がいたので。参拝客がたくさんいる中、そんなに暇なら手伝うのが普通でしょ。

第2位

  • 天祖神社(東京都/大塚)
  • 職員は、人が来てもこちらを見るだけで、自分の仕事をやり続けていた。普通、こちらに寄って来て声をかけるでしょ、窓口が施錠されているのだから。

第3位

  • 日枝神社(東京都/赤坂)
  • 携帯電話で話しをしながら御朱印を書いたので。普通、そんなことはしないでしょう。

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2012年4月 9日 (月)

天祖神社(大塚)

正直、大塚駅前に神社があるとは思いませんでした(苦笑)。気づかなかったと言っても構わないかもしれません。が、あとで気づかない理由がわかったような気がしました。

先に触れたように大塚駅から歩いて2分ほどでしょうか。

創建は不詳ですが、1320年頃と言われているようです。それなりに古い神社のようです。御祭神は社名からして天照大神(あまてらすおおみかみ)です。

境内には樹齢600年、高さ25mの一対の大イチョウがあります。夫婦イチョウと呼ばれているとのことです。また、子どもに授乳している子育て狛犬がいました。ネットで調べて見ましたが、子育て狛犬自体は他の地域でも認められました。ただし、数は少ないようです。私も今まで聞いたことがありませんでした。

参拝してご縁を結ばせていただきました。その後、御朱印をいただこうとしたのですが、ここからが問題です。社務所の前に行ったのですが、窓には中から鍵がかけられていました。中には職員が居て、こちらを見ていたので認識していたようですが、自分の仕事をしていました。普通、こういった場合、こちら側に来て声をかけるとかすると思うのですけど。しばらく前に立っていたのですが、来る気配がまったくないようなので、ここで御朱印をいただくことは止めました。今年に入ってから2件目ですね、御朱印をいただかないことにしたのは。私にとってはとても印象の悪い神社となってしまいました。

今から思うと、そんな対応しかできない神社だから気づく必要がなかったのでは、と思っています。人に配慮できない神社が(見えない)神様に配慮できるとは思いません。この神社はお勧めできないですね。今後行くことがあったとしても、直接祭神とお話するだけにします。

参拝日:2012/2/4

※ 拝殿です:2枚目

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2012年4月 8日 (日)

病気について

●病気について

病とは病巣が活発になること。病気の根源はこの病巣による身体細胞の変化が及ぼす影響である。身体細胞による影響が活発になればなるほど身体に及ぼす影響は大きい。
病気とは細胞の分裂によって起こる。病気を起こす原因は身体エネルギーの不足にもよるが、活発な因子が滞ることによって起こる粒子の不始末、経絡の基礎によって形作られた細胞が血路の不足を補うがごとく分散された組織の中で結合を行い、その組織を破壊することによって起こる身体の異常である。
誰もが持つ因子の中に組み込まれた破壊組織は血流の不足と分裂された組織の中で結合を繰り返す。病気とはこの破壊された組織を元に戻すための組織会合である。
病の中に己の価値があり病の中に己の立場がある。病がないと軽んじるでない。いつ誰の身にも起こり得る災難である。病を通して我が身を補い病を通して人へのあたりを考える。重要な人間自身の欠落を補う不毛の大作なるぞ。

●なぜ病気になるのか

人はひとりひとり、あたり(人の持つ性質、身体状況を意味する)が違う。このあたりの違いで及ぼす影響も違う。病気は個々の性質が持つもの身体的不足を補ふものと天性から持ち回った家族的因子がある。
個々の性質が持つものは精神、神経、短絡的行為にて及ぼす影響と外傷的、外部的範囲である。
身体的不足とは生育の過程における突発的変化と災難、災害にして起こる急激な変化である。この変化は家族共々深い悲しみの中で物事を彩らねばならぬ。悲しみだけでは立ち直れぬほどの深い慟哭の中で家族のあり方を示し、人を慈しむことで心の形を整え、互いのいたわりとなし、哀しみからの立ち直りを計る。
血族的因子からなる事柄は深い因縁からなり転生の過程でも同じ意識、同じ事柄の内容としてこの人体に影響を及ぼす。
これらの内容は先人達の伝達によって意識的に内在され、同じ恐怖として繰り返される。しかし、恐れることはない。すべての摂理はあなた方を導くために司られた病である。
人体に与える影響として病という癒しがたい恐怖がある。この恐怖の前では何人も恐れの中で己の身体の丈夫を願う。しかし、病とは何人に対しても近づき、何人に対しても与えられた欠陥を埋める重要な要素である。
病とは癒しがたい人間の条理を埋める。人類の中にこの癒しがたい条理を越えねば育てがたい過程がある。
生から死の中で人間が越えねばならぬ過程の中で越えがたい苦しみを持つものであるが、すべてが自然の摂理の中で繰り返される営みである。哀しみと苦しみと痛みの中で回る世界の痛みを共々に受け、心の橋として悲しみの中から愛の形を探されるものなり。
愛はあなた方の心から発せられます。すべての形を整えた時が心の進化、魂の浄化として伴うものです。

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2012年4月 7日 (土)

五行大義ー数を論ずー納音の数を論ず(2)

一に土を得るというのは、土は万物を含み広大で徳が厚く位が高いので君主とする。君主は民の主であり、君主は二人いるはずもなく、最初に発言する者である。だから土の数は一である。三に火を得るというのは、火は礼を主(つかさど)るものであり孝敬を先にし、生まれたところの徳を捨てることはしない。だから火の数は三であり、木の数(木の生数は三である)に従うのである。水は陰の位におり、これは人臣の道である。土がよく水を制御することは、君主が臣下を制するようなものである。水は放っておけば流れ、塞げば流れは止まる。水は自分から欲しいままにはしない。だから土の数(土の生数は五である)に従うのである。金は義を主(つかさど)る。義とは夫婦の道のことである。妻は自分から欲しいままにはせず、夫に従うという義がある。火は金の夫(相剋説による)であるから火の数(成数)である七を用いるのである。木は仁と孝を主り、金は木に打ち剋ち、宗廟の象である。式経には「金は骸骨であり木は棺である。」とある。これは、金・木が鬼神のこと(宗廟の祀り)を行う時に、敬うということを明らかにしている。だから、木は金の数(成数)に従い、その数は九となる。以上のように、一に君徳を示し、二に父母に従い、三に臣下の節を表し、四に敬(つつし)んで夫に従い、五に鬼神に仕える。こうして礼儀が備わり、人事が終わる。だから、納音はこのような数(老数)を用いるのである。

納音では十二支の子午は十干の庚に属し、八卦の震の卦に直する日辰である。(以下、同様に)丑未は辛に属し、巽の卦に直する日辰である。寅申は戊に属し、坎の卦に直する日辰である。卯酉は己に属し、離の卦に直する日辰である。辰戌は丙に属し、艮の卦に直する日辰である。巳亥は丁に属し、兌の卦に直する日辰である。

  • 孝敬:父母を大切にし目上を敬うことを意味する。
  • 式経:調査中。

一に土を得ると言うのは、本命(生まれた年の干支)が庚子であり、子は庚に属し、これを数えて一と言うのは、庚から数えて庚を得るまでに一だからである。三に火を得るというのは、本命が丙寅であり、寅は戊に属し、丙から数えて戊に至るまでに三だからである。五に水を得ると言うのは、本命は壬戌であり、戌は丙に属し、壬から数えて丙に至るまでに五だからである。七に金を得ると言うのは、本命は壬申であり、申は戊に属し、壬から数えて戊に至るまでに七だからである。九に木を得ると言うのは、本命は己巳であり、巳は丁に属し、己から数えて丁に至るまでに九だからである。六十甲子は例えればすべてこのようになる。十二支は八卦に属し、納音を成すが、その支はすべて順次に対衝する。例えば、子午は庚に属し、その子午は互いに対衝する。その他の例もすべて同様である。

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2012年4月 6日 (金)

2ヶ月延長

4月末で終了するはずだったのですが、2ヶ月延長して欲しいと依頼があり、どうやらそうなりそうです。いろいろ思うことがあって、これを機会に撤退した方がよい、というのが現場の判断なのですが、会社にしてみれば売り上げが減るわけで、個人的な我が儘など許されるわけもありません(苦笑)。ということで、たぶん延長することになります。

終了が決まってからかなりテンションが高くなっていたのですが、一気に引き戻されるような感じです。いや、高かっただけに反動も強いかもしれません。

もっとも、冷静に判断すれば、区切りが悪いことも事実です。そういう意味では区切りをきちんとつけての退場になりそうです。ただ、今の職場は判断がコロコロ変わることで有名なようで、朝令暮改的な傾向があるようです。本当のところはその日を迎えないとわからない、ということですね(苦笑)。

残された日が増えてしまいましたが、有意義に使って奇麗に退場できるようにしたいものです。

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2012年4月 5日 (木)

尾久八幡神社

都電「宮ノ前」駅からすぐの場所に鎮座していました。場所的にはすぐなのですが、信号の関係で、きちんと守ろうとするとそれなりに時間がかかってしまいます(苦笑)。

創建は不詳ですが、社に伝えられている棟札に1385年と記されていることからそれ以前であることは間違いないようです。少なくとも700年くらいの歴史のある神社、ということになりそうです。御祭神は応神天皇(おうじんてんのう)です。

境内は広くはありませんが、社殿左側に境内社である厳島神社がありました。こちらの方にも参拝させていただきました。

参拝してご縁を結ばせていただきました。御朱印ですが、ちょうどご祈祷の最中ということでいただけませんでした。再び参拝するかどうかは現時点では未定です。

参拝日:2012/2/4

※ 拝殿です:2枚目
※ 境内社です:3枚目〜4枚目

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2012年4月 4日 (水)

人間と動物、植物の関係について

互いに癒す樹木の関係である。木は根を張り、幹となり、葉が茂る。
人は互いに癒すものも必要である。癒しの中で己を見つめ救いとなることもある。互いの力関係には及ばぬがいたわりなくば育つこともない。

自然界にあるものは自然の中でお互いに育ち、癒してゆく。自然の営みの中では互いの力もまた必要。動植物が互いの価値を認識して織りなされてゆく繰り返されごとである。植物は植物なりに弱くもあり手をかけ温室で育つものもあれば、自然界にたくましく育つものもある。動物もまた、自然の中で気候、風土の中で育つものもあれば手塩にかけて育つものもある。互いの折りなしが人間界に似ているとは思わぬか。

植物はすべてに安らぎを与えて、好む者にとっては大きな安らぎとなる。動物はいろいろな形があることで嫌われたり好まれたりと忙しいことである。動物は人間に与える変化である。

この世の生物すべてが人間にとって好ましいとは限らぬ。好ましくないものはなぜか。この変化で、人間は感情の中でいろいろな取り決めをして決定づける。多種多様な変化の中で感情が育成されてゆく。自然界にあるものはすべて変化の中で人間が求める判断という認識の基準である。人間の価値では計れぬもの、それが自然の中での繰り返しごとである。

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2012年4月 3日 (火)

五行大義ー数を論ずー納音の数を論ず(1)

納音の数は人の本命(生まれた年の干支)の属するところの音をいうのである。音とは即ち宮(きゅう)・商(しょう)・角(かく)・徴(ち)・羽(う)の五音を指す。納とはこれら五音を取って人の姓の属するところを整えることである。「楽緯」には「孔子は、私は笛で律を吹いて姓を定めた、と言っている。一に土を得ることを宮といい、三に火を得ることを徴といい、五に水を得ることを羽といい、七に金を得ることを商といい、九に木を得ることを角という。」とある。これらはすべて陽数である。総じて五行には生数・壮数(成数)・老数の三種類がある。木は生数三、壮数八、老数九である。火は生数二、壮数七、老数三である。土は生数五、壮数十、老数一である。金は生数四、壮数九、老数七である。水は生数一、壮数六、老数五である。管輅は「土の老数が一なのは、土は万物の主であり、一切のものが土に帰すために一なのである。三才(天・地・人)が交わって人理(人として行うべき道理)が備わる。火の徳はこの三才の義を取っている。だから、火の老数は三である。水は天では五星に対応し、人では五臓に対応している。だから、水の老数は五である。金は七曜に配当される。だから、金の老数は七である。木は天では九星となり、地にあっては九州となり、人にあっては九竅となる。だから、木の老数は九である。」と言っている。生数を先にし、壮数をその次にし、老数は最後である。納音はその本命を論ずるものであるから、終わりの数、つまり、老数を納音の数とする。しかし、この解釈は納得のゆくものであるとは言えない。そもそも万物は皆、五常の気を受け、化合して物を生ずる。生じた後は例外なく成長して壮年に至る。成長して壮年に至った後は必ず衰え老いる。だから、物には生・壮・老の三種の義があるのである。人の道というものは、壮年から老年に至るまで礼義に基づいて身を立てている。しかしながら、礼義を保つことは、初めは誰でも気をつけるが、終わりまでこれを保つことができる人は少ない。すでに、人の本命の属する納音について述べたが、人でなければ礼義を行うことはない。だから、終老の数(老数)で礼義を明らかにするのである。

  • 律:音楽の基準となる音階で、陽の調子のことを意味する。
  • 管輅:「かんろ」と読む。三国、魏の平原の人である。字は公明。
  • 五星:木星・火星・土星・金星・水星を意味する。
  • 五臓:肝・心・脾・肺・腎を意味する。
  • 七曜:日・月・火・水・木・金・土曜を意味する。
  • 九星:調査中。
  • 九州:調査中。
  • 九竅:「きゅうきょう」と読む。目・耳・鼻・口・排出口の穴の数を意味する。
  • 五常:仁・義・礼・智・信を意味する。

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2012年4月 2日 (月)

ザ・モーツァルト70

今、セブンイレブンでiTunesCardを実質的に安く売っています。もっとも、直接安くなるわけではなく、nanacoポイントという形で後日還元するような方法です。¥5,000ものもを購入すると¥1,000戻って来る計算になります。実質的に¥4,000で購入できることになるので、今回初めて¥5,000のカードを購入してみました。

目的があって購入したわけではなかったのですが、iTunes Storeで音楽を見ていたら、「ザ・モーツァルト70」というのがありました。モーツァルトの曲を70曲収録したもので、これで¥1,200だったので購入してみました。

早速聴いているところですが、いいですね。有名どころの曲が満載です。これだけ揃っていてこの値段なので、コストパフォーマンスはかなりよいと思っています。ただ、iPhoneの容量が減ることになります。容量がそれほど多くはないので、これはかなり痛いです。どこかのタイミングで曲の整理をしないといけない時が来そうな気がします。

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2012年4月 1日 (日)

船方神社

今日から4月ですね。開花宣言も出たようなので、今週末くらいには満開になるのでしょうね。楽しみです。

本題に入ります。

都電「荒川遊園」駅から歩いて10分くらいの場所に鎮座していました。

創建は不詳です。725年という説もあるようです。だとしたらかなり古い神社ということになります。御祭神は日本武尊命(やまとたけるのみこと)です。

古くは本殿の右脇に十二天塚があることから「十二社」と呼ばれていたそうです。明治12年に現在の社名に改称されたそうです。

言い伝えによると、この地域の荘園主が熊の権現に祈願して授かった一人の姫が嫁いだ先で心ない仕打ちを受け、荒川に身投げをしてしまいました。その際、姫に仕えていた十二人の侍女も殉死したそうです。十二天とはこの十二人の侍女のことだそうですが、同時に熊野信仰での十二社との関連があると考えられているとのことです。

参拝してご縁を結ばせていただきました。御朱印はいただけませんでした。

参拝日:2012/2/4

※ 拝殿です:2枚目
※ 縁起です:3枚目

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2012年3月31日 (土)

五行大義ー数を論ずー支干の数を論ず(2)

十干の数は甲は九、乙は八、丙は七、丁は六、戊は五、己は九、庚は八、辛は七、壬は六、癸は五である。

「大玄経」に「甲己が九である」というのは甲は甲子に起こり、子に従うので九なのである。己は甲に配されるので甲と共に九なのである。乙は乙丑に起こり、丑に従うので八なのである。乙は庚に配されるので乙と共に八なのである。丙は丙寅に起こり、寅に従うので七なのである。辛は丙に配されるので丙と共に七なのである。丁は丁卯に起こり、卯に従うので六なのである。丁は壬に配されるので壬と共に六なのである。戊は戊辰に起こり、辰に従うので五なのである。癸は戊に配されるので戊と共に五なのである、とする。十二支は十二あり、対衝するものは数が同じである。だから、その数は九から四まで至るのである。十干はただ十あるのみで、配合するものの数は同じである。だから、その数は九から五に至るのである。また、「十二支は地に従うのでその数は陰で終わり、偶数である四で終わる。一方、十干は天に従うのでその数は陽で終わり、奇数である五で終わる。五で終わるとは五気にとどまることである。四で終わるとは四時に極まることである。最高の数が九に過ぎないのは陽数の極数が九だからである。」とも述べられている。

以上のように、五行及び支干の数は相すればその数を倍にし、王すれば十を足してこれを倍にし、休すれば元の数のままにし、囚死すればその数を半分にする。この、相・王・休・囚死の四つでもって数を増やせば数は極まることがない。これらは皆、気に従ってその数を増減するのである。つまり、気が盛んな時には数が増し、気が衰える時には数が減るのである。

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2012年3月30日 (金)

歯医者、終了しました

先週で歯医者での治療が終了しました。行く前は悪いシナリオを想定していただけにちょっと意外でした。虫歯も他になく、歯磨きもよくできているので、1年後くらいに定期検診に来てください、ということでした。

今までのパターンでは、虫歯が複数ありました(苦笑)。歯磨きにかける時間や方法が劇的に変化したとは思っていないのですが、歯磨き粉は「キシリデント」に変えました。結果から判断すると、宣伝通りの効果があったような気がします。

ただ、歯の減りに関しては予防できない、と言われました。ある程度まで減ればその部分をコーディングするなどの処置ができるらしいのですが、そこまで至っていないので現状できることと言えば、歯磨き時に加える力の調整くらいでしょうか(苦笑)。

何はともあれ、虫歯がなくてよかったです。歯は再生できないので、丁寧に扱って長く付き合っていくしかないですね。皆さんも歯は大切にしてください。

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2012年3月29日 (木)

白山神社

今回は、都電沿線の神社を巡ってみました。というのも、都電に「荒川車庫前」という駅があり、そこに、「都電おもいで広場」というのがあり、そこに行きたいという子どもからのリクエストがあったからです。

都電「梶原駅」より歩いて10分ほどの場所に鎮座していました。隣は児童遊園になっていました。開放的で、あまり神社らしいという印象は受けませんでした(苦笑)。

創建は不詳です。源義家が奥州出陣の際に、当社に詣で、戦勝を祈願したらしいので、その時にはすでに存在していたことになります。だとすると、1000年くらいの歴史がある神社ということになりますね。御祭神は伊邪奈岐命(いざなぎのみこと)、伊邪奈美命(いざなみのみこと)です。

参拝してご縁を結ばせていただきました。御朱印はいただけませんでした。

参拝日:2012/2/4

※ 拝殿です:2枚目

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2012年3月28日 (水)

五行大義ー数を論ずー支干の数を論ず(1)

支干の数には二種類ある。一つは通数であり、もう一つは別数である。そこで、まず、通数について説き、次に別数について論ずることにする。通数とは、十干・十二支のことである。干が十あるのは天地の大数に応じているからである。「周易」繋辞上伝には「天の数は五、地の数は五。」とある。天地の数は十に過ぎない。だから、干で十を極めるのである。十は日を主(つかさ)どる。十日を一旬とする。支の十二については「礼稽命徴」には「政治を行うこと十二ヶ月、そこにはそれぞれ尊卑に順序がある。」とある。「援神契」には「三三にして参行し、四四にして相扶(たす)ける。」とある。つまり、天には四時(春夏秋冬)があり、これは三月で一つの季節となる。だから、三三にして参行し、四四にして相扶ける、と言うのである。また、天・地・人、これを三才と言う。これが三であるのは物が生じる常数だからである。(物は木に生じ、木の生数は三である。)そこで、各々三を生ずると元は三であり、末は九であり、こうして十二となるわけである。「春秋元命苞」には「陽数は三に成る。だから、三で合する。つまり、三ヶ月(一時)となる。陽数は九で極める。だから、一時は九十日(三十日×三ヶ月=九十日)なのである。」とある。支は月に象り、十二月を一歳(一年)とするのである。以上、通数について説いた。

(次に別数について論ずる。)別数のうち、十二支の数について述べると子の数は九、丑は八、寅は七、卯は六、辰は五、巳は四、午は九、未は八、申は七、酉は六、戌は五、亥は四である。「太玄経(たいげんけい)」で「子午の数は九である」と言っているが、これについて説明すると、陽は子に起こり、午に終わり、陰は午に起こり、子に終わる。だから、子午は対衝し、これらは陰陽の二気が起こる所である。また、寅は陽の始めであり申は陰の始めである。起こる所から左に数え、始めるところに至って数を定める。つまり、子(陽が起こる所)から数えて申(陰が始まる所)に至る数は九、また、午(陰が起こる所)から数えて寅(陽が始まる所)に至る数も九である。だから、子午の数は九なのである。(以下、同様に考える。)丑未は対衝する。丑から数えて申に至る数は八であり、未から数えて寅に至る数も八である。だから、丑未の数は八なのである。寅申は対衝する。寅から数えて申に至る数は七であり、申から数えて寅に至る数も七である。だから、寅申の数は七なのである。卯酉は対衝する。卯から数えて申に至る数は六であり、酉から数えて寅に至る数も六である。だから、卯酉の数は六なのである。辰戌は対衝する。辰から数えて申に至る数は五であり、戌から数えて寅に至る数も五である。だから、辰戌の数は五なのである。巳亥は対衝する。巳から数えて申に至る数は四であり、亥から数えて寅に至る数も四である。だから、巳亥の数は四なのである。また、(「太玄経」には)「陽の数は九に極まり、子午は天地の経(縦糸)である。だから、陽の極数である九を取るのである。丑未より以下では、数を一ずつ減じ、八(丑未)から四(巳亥)に至る。その道理は明かである。」とある。

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2012年3月27日 (火)

巨人軍

巨人ファンの方には申し訳ないのですが、私は巨人軍が大嫌いです(苦笑)。巨人軍そのものよりも、渡邉恒雄氏をはじめ、つながっている人間に対して嫌悪感があるのと、巨人軍そのものの体質でしょうか。

最近また金銭絡みで(朝日)新聞に取り上げられていますが、普通の感覚だと、申し合わせ金額を遥かに越えた金額が許されるのだとすれば、申し合わせなど意味がないことになります。そんなものをいい大人達が集まって決めた訳ですね。

そもそも、巨人軍は、金でいい選手(と思われている)人材を集めているわけです。とすれば、本来優勝するのが当たり前。それができないということは、弱いチームだということです。弱いチームが努力をしないで楽に強くなれるわけがないと思うのですけどね。

正直、巨人軍が負けた翌日は気持ちがいいですね。個人的には一生懸命努力した球団に優勝してもらいたいものです。

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2012年3月26日 (月)

住吉神社

西分神社からだと歩いて10分くらいでしょうか。道路に面した参道から入ると、それなりの段数の石段を登る必要がありました。

創建は1369年とのことです。社名からすると、御祭神は底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)、神功皇后(じんぐうこうごう)というところでしょうか。先の三柱は住吉三神とも呼称されています。

境内はそれほど広くはありませんでしたが、境内社として大鳥神社がありました。

参拝してご縁を結ばせていただきました。御朱印はいただけませんでした。

参拝日:2012/1/28

※ こちらも急な階段を登る必要がありました:2枚目
※ 拝殿です:3枚目

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2012年3月25日 (日)

五行大義ー数を論ずー五行及び生数の数を論ず(6)

「尚書」は上古に創られた書である。だから、生数について述べている。「礼記」月令は季節について書かれた書であり、事を成し遂げることを貴んでいる。だから、成数について述べている。ただ、土に関してのみ生数について述べているのは、土はよく生じることを貴しとし、また、四行を統括しているので、簡単にすることができるからである。これは、(土が)ものを生じ、成就することができるという道理である。

鄭玄は「天と地が互いに配され、陰と陽の理を取っている。」と言っている。また、常従は、支干の数によって和合し、日辰(日と月)を取って働きとする、とした。両者の説は異なるとは家、大意は同じであり、最終的には「周易」の天一から地十に至るという道理に適っている。

「孝経援神契」には「一を以て立ち、二を以て謀り事を巡らし、三をも以て出で、四を以て増やし、五を以て結合し、六を以て嬉(たのし)み、七を以て変化し、八を以て伸び広がり、九を以て激しくなり(最高の状態に達する)、十を以て均しくなる。」とある。

五行では、一を以て水を立てる。一は生数である。五を一に配当すると水の成数となる。だから一に立って六に嬉む、と言うのである。嬉むとは興るという意味である。二は火の生数であり、七は火の成数である。だから二に謀る、と言うのである。また、火は変化することを働きとする。だから七に変化する、と言うのである。謀るとは変化の始まりである。三は木の生数であり、八は木の成数である。五行は東方から始まる。だから三に、出ると言うのである。八に成長する。だから八に伸び広がる、と言うのである。四は金の生数であり、九は金の成数である。西方は成就する。だから四に増える、と言うのである。その品種・種類は同じではない。だから九に激しくなる、と言うのである。五は土の生数であり、十は土の成数である。天の五を地の十に配合するのである。五行の数の意味はここで終わる。だから五は合することを言い、十は均しいことを言うのである。均しいとは成り備わるという意味である。

「春秋元命苞」には「胎錯ぶ連(たいさくぶれん)することによって一に均しくなる。動いて二に合するので陰陽になる。三に受成するので日・月・星辰の三つになる。四に伸び広がるので四時(春夏秋冬)となる。五に起こるので五行となる。六に動き広がるので六律となる。七に踊り別れるので七宿(星の宿り)となる。八に改めて始まるので八風となる。九に広がり尽くすので九州となる。十に吐き出し終わるので事業が成し遂げられて数が止まるのである。」とある。これらの経書・緯書は共に五行の生数、成数が十に過ぎないことを明らかにしている。

  • 胎錯ぶ連:混沌とした中から物が受胎し、活動を開始し、連なるように出ていくことを意味する。

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2012年3月24日 (土)

歯医者に通っています

最近、歯医者に通っています(苦笑)。というのも、虫歯らしいものを発見したのと、歯にしみることがあるからです。かなり重症かな、と思いながら歯医者に行ったのですが、状況は少し違っていました。

まず、虫歯らしいものは虫歯でした(苦笑)。ただ、発見が早かったので、その日のうちに治療してしまいました。以前虫歯だったところがまた虫歯になってしまったような感じでしょうか。少し念入りに歯磨きしていただけにちょっと残念でした。

しみの方ですが、こちらは、歯を磨き過ぎた?ことによる摩耗が原因らしいです。年齢も関係あるようなことも言っていました。もっと簡単に言ってしまえば、知覚過敏なのだそうです。そんなに時間をかけて磨いているわけではなかったのですが、「よく磨かれている」と歯医者さんに褒められてしまいました(苦笑)。うーん、正直あまり嬉しくなかったですけどね。

今日からはしみの方の治療が始まります。今までそのような治療を受けたことがないのでどのような治療になるのか想像もできません。まぁ、今日、行ってみればわかりますね(苦笑)。

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2012年3月23日 (金)

西分神社

ここに参拝する前に「青梅鉄道公園」に立ち寄っていました。ちょっと脱線してしまいますが、そこには猫の園長がいます。「のら園長」です。個人的には鉄道よりもこちらの方に興味がありました。結果的に会うことができたのでよかったです。

さて、話しを戻します。

「 青梅鉄道公園」から道なき道を通って向かったので所要時間はよくわかりません。週中の雪の影響をもろに受けたので、10分くらい要したのではないでしょうか。

創建は不詳です。元々は妙見社として創建され、明治時代に西分神社と改称されたようです。妙見社として創建されたのが鎌倉時代後期とのことなので、少なくとも600年くらいの歴史があることになります。御祭神は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。

妙見ということなので、陰陽道的な要素が入っていることになります。ここに来たのにはそれなりに意味があったことになりますね。

境内は狭かったです。境内社もいくつかありました。

今回は、「青梅鉄道公園」側から無理矢理やってきた感じですが、本来であれば、100段くらいの石段を登る必要があるくらいの場所に鎮座しています。

参拝してご縁を結ばせていただきました。御朱印はいただけませんでした。

参拝日:2012/1/28

※ 急な階段を登る必要がありました:2枚目
※ 拝殿です:3枚目

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2012年3月22日 (木)

五行大義ー数を論ずー五行及び生数の数を論ず(5)

「五行伝」及び「白虎通」にはみな「木は土がなければ生ずることはなく、(土を得てはじめて)根が張り実が成るのである。火は土がなければ燃え盛ることはなく、土を得て初めてその形を現し、盛んに燃えるのである。金は土がなければ成ることはなく、(土を得てはじめて)型に入って金と呼ばれるのである。水は土がなければ止まらず、(土を得てはじめて)堤防によって水が溢れるのを止めることができるのである。土は微かなものを助け、衰えたものを助けて木・火・金・水の四行の道に応じ、これを成就させる。だから五行は互いに土を待つのである。土は四季の末に盛んになって中央に位置する。だから、土を春夏秋冬と名付けないのである。土はそれどぞれの季節を共に起こり、ただ各々の意味に託して相性ずるということがわかる。「洪範五行伝」には「五行は共に起こり、それぞれ木・火・金・水の名をもって春夏秋冬に別れる。」とある。

常従の「数義」には「北方の亥子は水であり、水の生数は一である。丑は土であり、土の生数は五である。一と五が合わさって六となる。だから、水の成数は六である。東方の寅卯は木であり、木の生数は三である。辰は土であり、生数は五である。三と五が合わさって八となる。だから、木の成数は八である。南方の巳午は火であり、火の生数は二である。未は土であり、生数は五である。二と五が合わさって七となる。だから火の成数は七である。西方の申酉は金であり、金の生数は四である。戌は土であり、生数は五である。四と五が合わさって九となる。だから、金の成数は九である。中央の戊己は土であり、生数は五である。また、土の方位は中央にに配されその数はもともと五であり、合わせて十となる。だから、土の成数は十である。この成数は陰陽の両気がそれぞれ一周するのである。もし、陰陽の両気が共に一周すれば生数となり、各々一周すれば成数となる。陽は軽く清らかな性質により上って天となり、陰は重く濁った性質により下って地となる。陽は五に至って中央に入るがその様子は素早い。だから、生数は陰陽の両気が共に一周して中央に入るのである。陰は十に至って初めて中央に入るがその様子は遅い。だから成数は陰陽の両気が各々一周しえ初めて中央に入るのである。このように、五行は皆、中和の気を得て成るのである。土は中央に位置し、四季の末に盛んになるが、この土もまた土を須(ま)って土を成すのである。」とある。

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2012年3月21日 (水)

iOS 5.1にアップデートしました

iPhoneを普通にiTunesに接続したらiOS5.1がインストールできる旨のメッセージが出て、ネットワークエラーも発生せずにダインロードできたのでそのままインストールしました。対象はiPhone4SとiPadです。

アップデート自体は特に問題もなく終了しました。時間もそれほどかからなかったと思います。アップデート後のトラブルにも遭遇しませんでした。

ということで、新しいiOSを使っているのですが、細かいところが使いやすくなっているような気がします。カメラにアクセスしやすくなったし、バッテリーの持ちもよくなった(らしい)です。もっとも、バッテリーに関しては個人的にはあまり変わっていないような気がしていますけど(苦笑)。

一番の目玉はSiriの日本語版に正式に対応したことでしょうか。「Siri」というのはiOS向けの秘書機能アプリケーションです。音声で入力するとそれに対して何らかのアクションを起こします。例えば、「今日の東京の天気」を問うと「晴れです」と言った感じです。

とは言うものの、完成度はいま一つでしょうか。期待した通りの動作をする場合も多いですが、「明日のスケジュール」が「朝青龍」に聴こえることがあるらしいです(苦笑)。まぁ、今後の改良に期待します。

この機能、残念ながらiPhone4Sでしか動作しないようです。持っている方はいろいろ話しかけてみると面白いと思います。

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2012年3月20日 (火)

勝沼神社

虎柏神社、高峯神社からだと歩いて20分ほどでしょうか。高台にあるらしく、そこに至までかなり上り坂が続きます。その後、少し下る必要があるのですが、週中に降った雪の
影響もあり、道路の状態はよくありません。子どもに注意するように言ったのですが、それも虚しく、転んでしまいました。その転び方が凄く、なぜか私が見た時にはヘッドスライディングをしているような感じになっていました(苦笑)。ズボンの膝が一直線に切れていました。当然、それなりの損傷が膝のところに認められました。神社・仏閣巡りでこのような状況になったのは初めてです。その程度で済んだのかどうか、現時点では不明ですが、そう信じたいでね(苦笑)。

前置きが長くなってしまいましたが、創建は正安3年ということなので、1301年ということになります。勝沼城主三田下総守長綱が当地の守護神として創建したとのことです。歴史があるのですね。御祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)です。

境内はそれほど広くはありませんでしたが、境内社がありました。そちらの方にも参拝させていただきました。

参拝してご縁を結ばせていただきました。御朱印はいただけませんでした。

参拝日:2012/1/28

※ 寒さで手水舎の水が凍っていました:2枚目
※ 拝殿です:3枚目
※ 境内の様子です:4〜5枚目

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2012年3月19日 (月)

五行大義ー数を論ずー五行及び生数の数を論ず(4)

以上、すべて始めに基づくものであると述べたが、まだ成数については明らかにしていない。(そこで、次に六から十までの成数について述べることにする。)

数はまだ成就していなければ、まだ働きを成すことはできない。穎容の「春秋釈例」には「五行の生数は変化して各々の働きを成すことがまだできない。水は停滞すれば流れることができず、火は固定されれば炎光を生ずることができず、木は精気が破壊されると形質が固くなり、金は強く固くなれば切断され、土は塩分を含んだ痩せた土地になると植物がよく育たず、片寄ってしまう。そこで、天は五をもって民に臨み、君はこれ(五)をもって民を教化する。」とある。

「春秋左氏伝」には「配当するのに五をもってする。」とある。五を用いる理由は五は天の中央の数だからである。そこで、水は五を得てその数は六となり、湿った土地に流れ、くぼみにしたがって下って行くことができるようになる。火は五を得てその数は七となり、燃え上がることができるようになる。木は五を得てその数は八となり、曲がったり真っ直ぐになったりできるようになる。金は五を得てその数は九となり、柔らかで自由に形を変えることができるようになる。土は五を得てその数は十となり、作物を植えたり収穫できるようになる。

鄭玄は「数がもし五に止まれば陽には配される相手がなく、陰には配するという義がなくなってしまう。だから、陰陽を合して数を成すのである。奇数は陽であり始めを唱え基準となる偶数は陰の本(もと)であり陽を得ることによって成る。だから、天は一をもって始まり水を北方に生じ、地は六をもって水を成し、流れ潤わせる。地は二をもって火を南方に生じ、天は七をもって火を成し、光輝かせる。天は三をもって木を東方に生じ、地は八をもって木を成し、生長・繁茂させる。地は四をもって金を西方に生じ、天は九をもて金を成し、強く鋭くして飾りがあるようにさせる。天は五をもって気を中央に集めて土を生じ、地は十をもって土を成し、天地の間のすべてのもののために備える。このように配合すれば地の六は天の一の匹(連れ合い・ペア)であり、天の七は地の二の偶(配偶)であり、地の八は天の三の匹であり、天の九は地の四の偶であり、地の十は天の五の匹である。陰と陽が各々配合され、その後、本来の気性は共に得ることができ、五行は万物をのばして生長させ行(めぐ)るのである。」と言っている。だから、四季の運行は五行によって成就し、土は木・火・金・水の四行を統括して四季の季(すえ/各季節の末の十八日間、即ち土用のこと)に位置し、四季を成り立たせている。

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2012年3月18日 (日)

そろそろ花粉症が

最近、花粉症の症状が出始めたかな、と思っています。今年は寒かったせいもあってか、例年よりも遅いような気がしますが、それでもやってきました(苦笑)。この症状が出始めると春も近いかな、と思ってしまいます(苦笑)。

取りあえず、就寝前に目を洗えるように洗眼薬を購入しました。かなり爽快感が強いものを購入したので(それほど痒みが出ていない現状では)ちょっと爽快過ぎています(苦笑)。まぁ、それほど日が経たないうちにちょうどよくなるとは思いますけど。

花粉症でも特に医者に行くこともマスクをすることもないのですが、一番困るのは鼻水が止まらなくなる時があることです。なぜかわかりませんが、電車に乗っている時に起こることが多いような気がします。こうなるとハンカチが手放せなくなってしまいます(苦笑)。

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2012年3月17日 (土)

高峯神社

虎柏神社から歩いて5分ほどでしょうか。小高い山?の上に鎮座していました。虎柏神社へは右へ、高峯神社へは右に、という感じでした。私は虎柏神社へ参拝したあとに高峯神社に参拝しました。

参拝するには小高い山?を登る必要がありました。週中に降った雪の影響がまだ残っており、足元のコンディションはよくありませんでした。子どもと一緒だったこともあり、かなり注意して登ったので時間がかかってしまいました。

創建や御祭神については帰ってから調べて見たのですが、現時点ではよくわかっていません。虎柏神社の境内社だとは思うのですが。何かわかりましたら内容を追記したいと思います。

実際に参拝して思ったのですが、あまり神社、という感じはしなかったです(苦笑)。

一応、ご縁を結ばせていただきました。御朱印は(当然だと思いますが)いただいておりません。

参拝日:2012/1/28

※ 山頂にありました。拝殿ですよね:2枚目

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2012年3月16日 (金)

五行大義ー数を論ずー五行及び生数の数を論ず(3)

(次に一から五までの生数について説明する。)天は一をもって水を北方に生じるが、北方は君子の位である。(ここでは)陽気は地中深くわずかに動く。始めて動く時には共に動くものはなく、陽気だけ動き天の数は陽と合して一となる。水は陰のものであるといっても内に陽を含んでおり、これは陽の始めである。だから、水の数は一である。陽が極まると陰が生じ、陰は午に始まる。陰が始めて動く時もやはり共に動くものはなく、陰のみが動く。陰陽の二気には各々その始めがある。陰の始めである火も一と言うべきところであるが、二と言うのは陽気の方が陰気よりも尊いからである。尊い陽気が始め(一)をくくり、陰気は卑しいものとして陽気を助けて配合されるのである。だから、(陽気が)生じて陽の数(一)となり、陰の数と結びついて火(二)の中にあるのである。火は陽のものであると言ってもその意味は陰(二)であり、陰の始めに配当される。つまり、火は陰の始めとして義を立てたのである。だから火の数は二なのである。老子には「天は一を得て清く、地は一を得て寧らかとなる」とある。これから、天地にも一という義があり、陰陽が互いに働き合って「始め」である、ということがわかる。そこで、「木は陽に配当されて動き、左に動いて東方に生長し、生長すれば繁茂し、繁茂すれば即ち数が増える。」というのである。だから、木の数は三である。陰は陽が消滅するのを助け、陰道は右に転じて西へ行く。これは、陽に配当された動いた後の動きなので、木の三と等しいという道理はない。だから金の数は四である。こうして、陰と陽の数は始めて一周し、その後、陽は中央に達し、四行(木・火・金・水)を総括する。(四行を)総括すれば(一・二・三・四の数より)ますます多くなる。だから、土の数は五である。これらは生数の説明である。

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2012年3月15日 (木)

北斗七星ライン

「北斗七星ライン」って耳にしたことがありますか。前から知ってはいたのですが、あまり興味がなかったので放っておいたのですが、最近、客観的にみて何らかのアクションを起こさないといけないかな、と思い始めています(苦笑)。

「北斗七星ライン」というのは、簡単に言ってしまえば、「平将門公ゆかりの神社と首塚を結ぶと北斗七星の形になる」というものです。これを江戸の霊的守護を担当した天海が調伏神社で(首と胴体)を区切ることで将門公を封じたまま祀り上げ、霊的なパワーの強さを利用しようとした、らしいのです。補足ですが、北斗七星は、将門公が(北斗七星を神格化した)妙見菩薩を信仰していたことに由来しています。

関連する神社は首塚を含めて以下の通りです。

  1. 鳥越神社(首)
  2. 兜神社(首)
  3. 首塚(首)
  4. 神田明神(首)
  5. 筑土八幡神社(首)
  6. 水稲荷神社(調伏のための神社)
  7. 鎧神社(胴体)

このうちいくつかは参拝したことがあるのですが、今回はまとめてしかも一度に参拝する必要があるかな、と思っています。近日中に実行する予定です。

話しは変わりますが、将門公は日本三大怨霊(崇徳上皇、菅原道真公、平将門公)の一人となっていますが、私にはそんな感じはしません。理不尽なことをした心の呵責がそういうふうにしたのかな、と思ってしまいます。ただ、昔だったらそうなのかもしれませんね。

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2012年3月14日 (水)

虎柏神社

今回は、青梅駅周辺の神社を参拝することにしました。なぜ青梅なのか、ですが、「青梅鉄道公園」という場所があり、子どもがそこに行きたい、と言ったからです(苦笑)。原則、神社・仏閣が近くにあればそこに参拝する、という約束だったので行って来ました。

東青梅駅から歩いて20分くらいの場所に鎮座していました。

とらかしわじんじゃと読みます。あとで調べて知ったのですが、旧称は諏訪神社と呼ばれていたとのことです。うーん、ここにも諏訪神社が出て来ましたね(苦笑)。

創建は不詳ですが、いわゆる、延喜式内社に比定される古社とのことです。御祭神は、大歳御祖神(おおとりみおやのかみ)、惶根神(かしこねのかみ)、建御名方命(たけみなかたのみこと)、八坂刀売命(やさかとめのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)です。

以前、「鬼」が社名に付く神社をご紹介したことがありますが、「虎」が社名に付く神社も珍しいのではないでしょうか。少なくとも、私が今まで参拝した中ではありません。

参拝した時間が早かったこともあるかもしれませんが、ちっと民家から離れている印象を受けました。時間帯によっては怖い印象を受けるかもしれません。すぐ側が小高い山?となっていて、とても静かな場所でした。参拝した週には東京に雪が降ったこともあり、ところどころにその痕跡が残っていました。手水舎にも氷が張っていました(苦笑)。

参拝してご縁を結ばせていただきました。御朱印はいただけませんでした。

参拝日:2012/1/28

※ 拝殿です:3枚目
※ 境内の風景です:4枚目
※ 縁起です:5枚目

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2012年3月13日 (火)

五行大義ー数を論ずー五行及び生数の数を論ず(2)

「周易」繋辞上伝には「天の数は五、地の数は五、五位は奇数と偶数の数を互いに得てそれぞれ合する。」とある。「尚書」洪範篇には「五行は一は水、二は火、三は木、四は金、五は土と言う。」とある。(これらは皆、生数である。)「礼記」月令篇には「木の数は八、火の数は七、金の数は九、水の数は六、土の数は五である。」とある。(これらは皆、成数である。ただ、土のみ生数を言っている。)

  • 天の数:王弼の注では「一・三・五・七・九のことである」とある。韓康伯の注では「五とは五つの奇数のことである」とある。
  • 地の数:王弼の注では「二・四・六・八・十のことである」とある。韓康伯の注では「五とは五つの偶数のことである」とある。
  • 五位:王弼の注では「木・火・土・金・水のことである」とある。
  • それぞれ合する:王弼の注では「水は天にあっては一、地にあっては六であり、六と一は北に当てはまる。火は天にあっては七、地にあっては二である、二と七は南に当てはまる。金は天にあっては九、地にあっては四であり、四と九は西に当てはまる。木は天にあっては三、地にあっては八であり、三と八は東に当てはまる。土は天にあっては五、地にあっては十であり、五と十は中央に当てはまる。だから五位は奇数と偶数の数を互いに得てそれぞれを合するというのである。」とある。謝万の注では「陰の気と陽の気が相応じ、奇数と偶数とが相いあ配し、それぞれ合するのである。」とある。韓康伯の注では「天と地の数はそれぞれ五つずつあり、それらの数が相い配されて金・木・水・火・土を合成するのである。」とある。参考までに王弼の注をまとめると下記のようになる。

   水 火 金 木 土
天  一 七 九 三 五
地  六 二 四 八 十
方位 北 南 西 東 中央

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2012年3月12日 (月)

iOS 5.1アップデート

先日、iOS 5.1がリリースされたのですが、我家ではまだアップデートしていません。というのも、アップデートしようとしているのですが、ネットワークでエラーが発生した旨のエラーが出てしまうからです。

この件、結構問題になっているらしく、ネットで検索するといろいろヒットします。DNSを変更すれば解決するらしいのですが、正直、現時点でそこまでやってアップデートしようと思いません。というのも、前回アップデートした時には特にそういったことをやらなくてもよかったからです。

また、アップデートによって、(よくあるように)トラブルが発生している例もあるようです。そういった意味では、少し様子を見てからアップデートするのが最善の策のような気がしています。

具体的にはいつくらいにアップデートするか、ですが、1ヶ月くらいは様子を見ようと思っています(苦笑)。その間、もっといろいろな情報が出て来ると思います。よい情報が多くなって来たらアップデートしたいと思います。

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2012年3月11日 (日)

亀戸香取神社

大震災から今日で1年が経ちました。時の経つ早さに驚きですが、逆に政治の対応の遅さにも驚きを感じてしまいます。政治家の存在意義って何なのでしょうね。口先だけで何もできない政治家こそ税金の無駄遣いだと思うのですが。

震災で亡くなられた方のご冥福を改めてお祈り申し上げます。

話しを本題に戻します。

香取神社から駅に向かう途中で見つけました(苦笑)。その時にはよく理解できていなかったのですが、どうもこの辺には「香取神社」が2社あり、こちらの方は「亀戸香取神社」と呼ばれており、スポーツ振興の神様として有名なようです。ちょっと紛らわしいですね。

創建は社伝によると、665年とのことです。藤原鎌足が東国へ降った際、この島に香取大神を勧請し、太刀一振りを奉納して旅の安全を祈願したのが起源とのことです。御祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)です。経津主神は聞き慣れないかもしれませんが、刀剣の威力を神格化した神です。

将門公が乱を起こした際、追討の命を受けた藤原秀郷(俵藤太)が参拝し、戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、乱を鎮めることができたことから奉賽の証として弓矢を奉納、勝矢と命名されたとのことです。もしかして、将門公に縁がある者が参拝してはいけない神社?という考えが一瞬よぎりましたが、無視しました(苦笑)。

境内は広く、末社が並んでいました。桜が咲く時期に参拝するのがお勧めのようです。先にご紹介した亀戸天神の近くに鎮座していますので一緒に参拝するのがよいかもしれませんね。

参拝してご縁を結ばせていただいたのち、御朱印をいただきました。

参拝日:2012/1/14

※ 拝殿です:2枚目
※ 境内社がありました:3枚目
※ 縁起です:4枚目

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2012年3月10日 (土)

五行大義ー数を論ずー五行及び生数の数を論ず(1)

行を五というのは万物が多いと言ってもその数は五に過ぎないことを明らかにしているのである。だから、天では五星となり、その神を五帝とする。

孔子は「昔、私がこのことを老子に尋ねると老子は、天には五行があり、それは木・火・土・金・水のことであり、その神を五帝と言うのである、と言われた」と言った。地では五方となってその鎮を五岳とする。物理論には「これを鎮めるのに五岳をもってする。」とある。人では五臓となり、その徴候は五官に顕れる。黄帝素問には「五臓の徴候は五官にあり、五官とは眼、耳、口、鼻、舌のことである。」とある。五行は互いに背負ったり背負われたりし、休んだり盛んになったりして相生じ、万物を生成して運(めぐ)り用いて休むことはない。だから行(めぐる)と言うのである。春秋繁露には「天地の気が連なって五行となる。だから五行は行(並び)なのである。」とある。

  • 五星:水星、火星、木星、金星、土星を意味する。
  • 五帝:五方を主宰する五人の天帝で東方の青帝、南方の赤帝、中央の黄帝、西方の白帝、北方の黒帝を意味する。
  • 五方:東、西、南、北、中央を意味する。
  • 五岳:泰山(東岳)、華山(西岳)、霍かく山(南岳)、恒山(北岳)、嵩すう山(中岳)を意味する。ただし、これには異説もある。
  • 物理論:調査中...
  • 五臓:肝、心、脾、肺、腎を意味する。
  • 黄帝素問:調査中。
  • 春秋繁露:調査中。

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2012年3月 9日 (金)

電気代

新居に越してから初めての冬を迎えたわけですが、電気代を見て驚きました。エアコンと床暖房が付いているのでそれを併用して一冬過ごしたのですが、だいたい2ヶ月分を1ヶ月で使ったようです(苦笑)。年末年始など、在宅した期間が長かったと言えば言えますが、それでも使い過ぎだと思います。

この原因が何なのかは調べきれていないのですが、個人的には床暖房だと思っています。エアコンは種類は違えど今までも使って来ています。しかも、最新型に近いモデルなので、省エネが売りになっています。

一方、床暖房は今回が初めての使用になります。なるべく温度は上げないようにしているのですが、寒ければ上げたくなるのが人情ですね(苦笑)。

家庭用電気料金が値上げされるような話しも出ています。東京電力は自分たちが原因でこうなったことを忘れて、取りやすいところから取ろうとしているような気がしてなりません。身を切らないでの値上げは誰にも支持されませんね。

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2012年3月 8日 (木)

香取神社

亀戸には香取神社が2つあるようです。もっとも、一方は「亀戸〜」と呼ばれているようなので区別は付くのですが、必ずしも接頭詞が付くとは限らないようで、その場合には内容で判断するしかないようです(苦笑)。

今回参拝したのは接頭詞が付かない方です。こちらは、東京都墨田区文花に鎮座していいました。吾嬬神社からだと歩いて4〜5分ほどだと思います。

創建は不詳ですが、平安時代の末期に、当地開拓のために千葉県香取郡から移住した6軒の人々が小村井(おむらい)の氏神様として祀ったのが始まりのようです。

御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)で、民業指導、海上守護、縁結び、安産などに御神徳があるとのことです。

参拝してご縁を結ばせていただきました。御朱印はいただけませんでした。

参拝日:2011/1/14

※ 拝殿です:2枚目
※ 境内の風景です:3枚目
※ 縁起です:4枚目

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2012年3月 7日 (水)

五行大義ー数を論ずー大衍に起こりて易の動静の数を論ず(2)

さて、大衍の数は天地の数、五十五を極めたものである。京房は十日、十二辰、二十八宿を足し合わせると五十になり、そのうち一を用いないのは天の生気の一を減じ、虚をもって実を求めようとするからである。だから、残りの四十九を用いるとしている。

馬融は易の太極を北辰(北極星)と言い、太極(一)は両義(二)を生じ、両義は日月(二)を生じ、日月は四時(四)を生じ、四時は五行(五)を生じ、五行は五行は十二月(十二)を生じ、十二月は二十四気(二十四)を生じ、(これらの数の合計は五十になるが)北辰は定位にあって動かないのでこれを除き、その余りの四十九を運用するのである。

鄭玄(じょうげん)は「易の貞と悔の六爻の数は元は五十であるが、かならず用いるのは四十九である。それは天地の数は元は五十五であるが、天五と地十が通じ、天一と地六が通じている(簡単に言えば天の数一~五は地の数六~十とそれぞれ通じているということである)。これを数える場合には、二気が通じて合しているのでその分を減じるべきであり、したがって大衍の数は天地の数から合した気の分五を減じた五十であり、そのうち用いるのは一を減じた四十九である。合しないものは減じてはならない。」と言っている。

さて、今その数を合計すると五十になる数がある。天一から地十まで順に合計していくと(1+6+2+7+3+8+4+9+5+10=55)五十五である。これは生成の数を合計した数である。もし、ただ生数のみを言えば(合計すれば)十五である。これは一から五までを合計した数である。易が象る爻は深遠な道理を持つものである。だから、天地から日月などの数に至るまで蓍卦に用いる数となる。これらの数が巡り変じて万世に極まることなく五十五である。五はもとから并数である。并数というのは天と地に各々一体ある。体はそれぞれ別であり敵対するべきものである。ある数に五を足すとこれはその気の并数となり再び用いない。これが配するということの意味である。配すればその数は虚となり実ではなくなる。だから事をつかさどるところがなく、これが蓍を用いない理由である。(こうした并数が五つあるために五十五のうち実際に蓍に用いる数は五十となる。)また、このうち一を用いないのは蓍の一本を指に掛けて無(太極)に象るが、無は形がないものであり、有(四十九本の蓍)の働きが極まる時に無の効果があらわれる。(そういう理由で無を象った一本は用いないのである。)また、「太業尋ねて吉凶を得、吉凶を尋ねて八卦を得、八卦を尋ねて四時を得、四時を尋ねて両義に至り、両義を尋ねて太極に至る。」と言うが、太極とは大いにそぎ減らして極まり、無に窮まる極致である。有を使って深遠な事理を極め、多を減じて少につく、とはこのことである。だから太極は形がなく、空寂であり、言葉や形(象)として現れるものではないことを明らかにしている、と言うのである。

  • 京房:前漢末の易学者。象数易を発展させた。
  • 馬融:後漢の経学者。博学多才で経学に詳しく、多くの経書の注を書き、また『春秋三伝異同説』を著した。鄭玄は門弟である。
  • 貞と悔:貞は易の大成卦の内卦(下側の三爻)を、悔は大成卦の外卦(上側の三爻)を意味する。
  • 生成の数:一から五までの数を生数、六から十までの数を成数という。
  • 太業:大業のことで、ここでは国家・国王の業を意味する。

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2012年3月 6日 (火)

10大協奏曲

iTunes Storeで「10大協奏曲」なる曲が¥1,500で販売されていたので購入してみました。収録されている曲は次の通りです。

  1. ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調
  2. ショパン:ピアノ協奏曲第1番ホ短調
  3. チェイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調
  4. グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調
  5. ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調
  6. シューマン:ピアノ協奏曲イ短調
  7. メンデルスゾーン:バイオリン協奏曲ホ短調
  8. チェイコフスキー:バイオリン協奏曲ニ長調
  9. ブラームス:バイオリン協奏曲ニ長調
  10. ドボルザーク:チェロ協奏曲ロ短調

有名どころが満載で、この値段だとかなりお得な気がします。実際、私も満足しています。最近は、このアルバムのみ聴いています(苦笑)。よかったら購入してみてください。

このシリーズで「10大交響曲」というのもあるのですが、こちらをどうしようか現在考え中です。たぶん、近い将来、購入することになると思いますが、iPhone側の(ディスク)容量がそれほど大きくないため、アルバムの入れ替えが必要になりそうです。

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2012年3月 5日 (月)

吾嬬神社

「あづまじんじゃ」と読みます。梅屋敷伏見稲荷神社から歩いて5〜6分の場所に鎮座していました。福神橋というとても有難い名前の橋があるのですが、そこを渡ってすぐのところです。

縁起ですが、日本武尊が東征の際に相模から上総国へ渡ろうとして暴風に遭い、(妻の、ただし諸説あり)弟橘姫命(おとたちばなひめ)が身を海に投じて暴風を鎮めたことから、日本武尊は上陸できたものの、弟橘姫は行方知れずとなり、弟橘姫の御召物がこの地の磯辺に漂い着いたので、これを築山に納めて吾嬬大権現として祀ったのを始まりとした、とのことです。社殿造営は1199年とのことです。歴史があるのですね。

ということで、御祭神は弟橘姫命、相殿は日本武命とのことです。境内は広くはないのですが、境内社として福神稲荷神社がありました。こちらにも参拝させていただきました。それから、境内には連理の楠と呼ばれる夫婦和合の御神木がありました。

参拝してご縁を結ばせていただきました。御朱印はいただけませんでした。

蛇足ですが、吾嬬とは我妻という意味です。それから、吾妻橋というのが近く?にあるのですが、この神社と関係があるのかもしれませんね。

参拝日:2011/1/14

※ 拝殿です:2枚目
※ 境内社がありました:3枚目
※ 境内社の由緒です:4枚目

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2012年3月 4日 (日)

五行大義ー数を論ずー大衍に起こりて易の動静の数を論ず(1)

総じて万物の始めは無に始まって有(の状態)にならないものはない。だから、易には太極があり、太極は陰陽の両儀を生じ、両儀は四序を生じ、四序は生の生じるところである。万物は茂って繁殖し、そうして万物は生成するのである。

万物は皆、陰陽の二気からなっており、陰陽の二気は奮い立って形を作り、互いに交感し合うのである。だから、陽のみで生ずることはできず、陰のみで生ずることもできない。必ず陰陽が配合されて万物が生成されるのみであり、こうして万物は変化・流通するのである。

つまり、天にその象(気象)があり、その精気が下流すると地道はこれを含み変化させ、これを元にして形を生ずる。陰陽が消長することで生まれたり滅んだりするのである。その明らかにし難い道理を明らかにするには数を用いる他はない。そこで、数を用いてこれを説明することとする。

  • 四序:春夏秋冬の順序を意味する。

数によって物事の道理を明らかにするのは筌(せん)や蹄(てい)を使って魚や兎を捕まえるようなものである。陽は順序に従って始めを唱え、陰はその終わりをたすける。

奇数や偶数の理を窮め、相成の道を備え、変化の源を極めようとする者は易の蓍の数理に詳しいものである。七・八の数を静とし、九・六の数を動とする。陽は動いて進み、七を変じて九に行く。これは陽気が盛んになることを象ったのである。また、これは陽道が伸びて長ずることを明らかにして君子の徳に象る。始めを唱えて休まず、後方に屈するところがなく、一つを極めてもなお進もうとしているようなものである。だから九は動である。陰は動いて退き、八を変じて六に行く。これは陰気が消滅するのを象っているのであり、だから臣下の法を明らかにするものである。後方に屈するところがあり、陰は陽に唱和するだけである。つまり、物事の道理が君子の方に近い時には臣下は静かに君子の命を聞き、必ず退き譲って臣下の義を明らかにしなければならない。だから、八は静である。

周易・繋辞上伝には「(実際に使用される蓍四十九本)を二つに分けて天地すなわち陰陽の両儀に象り、右手より一策取り出して左手の小指と薬指の間にかけ天地人三才に象る。そして、左右の策を四本ずつ数えてゆき、四季に象るのである。」とある。この時、左手に残るものが四×七の二十八策の時(少陽)には七と名付ける。四×八の三十二策の時(少陰)には八と名付ける。この七と八は静爻の数であり、夏・殷は質(実質)を尊ぶので静爻を用いて占うのである。左手に残るものが四×九の三十六策の時(老陽)には九と名付ける。四×六の二十四策の時(老陰)の時には六と名付ける。この九と六は動爻の数であり、周は質(実質)と文(文飾)を備えている。だから動爻を用いて占うのである。

  • 筌:魚を捕らえる道具を意味する。
  • 蹄:兎を捕らえる道具を意味する。
  • 蓍:占いに用いる道具の一つ。筮竹(ぜいちく)を意味する。
  • 周易・繋辞上伝:易の心境を説き、周易の総論というべきもので、哲学的な説き方をしている。上経と下経の繋辞伝がある。

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2012年3月 3日 (土)

だいぶ作れるようになりました

およそ半年の間、業務用iPhoneアプリを組み続けてきましたが、最近になって、自分の思った通りのことがプログラムで実現できるようになってきました。当然、品質は担保した状態で、です。

もともと品質があまりよくなく、担当者も頻繁に交代した中で半年以上続いたというのは長い方です(苦笑)。不具合もだいぶ潰したのですが、それでもまだ潜んでいます。今までは、この状況を快く思っていなかったのですが、今になって振り返ってみると、不具合を修正するためにだいぶ実力が付いたような気がします(苦笑)。いやぁ、人間、何がメリットになるかなど読み切れませんね。取りあえずでも現状を受け入れていけば、何か得るものがきっとあると思います。

だいぶ作れるようになったとは言え、限られた部分であることも事実です。他にも勉強しないといけない分野はたくさんあります。じっくりと取り組むにはちょうどよい課題かもしれません。

息切れしないように、時には立ち止まりならがやって行きたいと思います。

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2012年3月 2日 (金)

梅屋敷伏見稲荷神社

天祖神社からだと歩いて5〜6分ほどでしょうか。場所的には近かったのですが、ちょっと道に迷ってしまいました(苦笑)。住宅地の中にある小さな神社でした。

ここはかつて、伊勢屋彦右衛門の別荘で「清香庵」だったところでした。梅屋敷として知られ、そこを訪ねた水戸光圀は、一株の梅がまるで龍が地を這う様に咲いていたため、賞美のあまり臥龍梅と命名した、とのことです。しかし、明治43年の洪水と工場の排煙などから梅の大部分が枯れてしまい、廃園となってしまったそうです。この神社はその梅屋敷の屋敷神だったところで、現在では唯一、梅屋敷の名残を残すものだそうです。何とも言えない寂しさ・悲しさがありますね。

社名からして、御祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)でしょう。京都・伏見稲荷大社から勧請されたものでしょう。

参拝してご縁を結ばせていただきました。御朱印はいただけませんでした。

話しは変わりますが、京都・伏見稲荷大社に行きたくなってしまいました(苦笑)。出張でも何でもいいので、そういった機会が訪れないかな、と思っているところです、この辺は他力本願なのですよね(苦笑)。

参拝日:2012/1/14

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2012年3月 1日 (木)

五行大義ー体性を弁ず(7)

洪範伝には「水に潤下と曰(い)う。」とある。潤下とは水が湿った土地に流れ、くぼみにしたがって下ってゆくことである。北方は至陰であり、宗廟や祭祀の象である。冬は陽の始まるところであり、陰の終わるところである。終わってまた始まることは物事の締めくくりの時である。死んだ者の魂気は天に上って神となり、魄気は下降して鬼となる。天地万物の根源となる気(精気)が散じて外にあって返って来ない。そこで宗廟を作って散じてしまった気を収めるのである。易経の渙の卦に「渙は亨る。王有廟に假(いた)る。」とある。これは、このこと(散じてしまった気を収めること)を言っているのである。

さて、聖人の徳はまた何をもって孝に加えるのか、孝以上のものはないのである。だから、天子は自ら耕し、器に盛った穀物を(先祖の霊)に供え、皇后は自ら蚕を養って祭服を(先祖の霊)に供える。これは、(先祖の霊に対する)尊敬の極みである。このように敬いを極めれば先祖の霊もこれに報いるのに大いなる福をもって行うものである。これは水気に順うことである。水気が順行すればその性のようになる。その性のようになればその源泉が通じて流れるようになり、民衆の役に立つようになる。もし、君主が祭祀を行わず、先祖の霊を侮り、天の時に逆らったならば水気はその性を失い、水が急に出て漂い溢れ、沈み溺れさせ、都市を壊し、人に害を与える。だから水に潤下せず、と言うのである。

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2012年2月29日 (水)

「はやぶさ2」

今年は閏年なので、今月は29日まであります。4年に1回この日に記事を書けることになりますね(苦笑)。

話しを本題に移します。

「はやぶさ」と同様に、小惑星からの物質を地球に持ち帰るのが任務となります。「はやぶさ」が向かったのは小惑星イトカワですが、「はやぶさ2」の目的地として現在候補となっているのは、199 JU3という仮符号が付けられた小惑星とのことです。イトカワと似た軌道を持つ小惑星で、大きさは900m程度で比較的球形に近い形をした小惑星とのことです。ちなみに、イトカワは500m程度です。

新しい試みとして、地表の物質回収だけでなく、地中の物質の回収も検討されているようです。地中の物質は表面のものよりも変質していないと考えられるので、これができたら有益な情報になりそうです。

とまあこんな感じのプロジェクトですが、なにぶんお金がかかります(苦笑)。現時点では予算に対して半分も資金が確保できてないらしいです。実用に直結するものでないのでなおさらなのかもしれませんね。

さて、一般的に科学技術にはお金がかかります。いろいろな研究をしている団体がありますが、資金調達の一つの手段として寄付金を募っているところも多いです。調べた感じではJAXA(宇宙航空研究開発機構)では受け付けていないようです。一人当たりの金額は少ないかもしれませんが、数が集まればそれなりの額になると思うのですけどね。

寄付金を受け付けている団体の多くは寄付金に対する税制上の優遇措置があるようです。ユニセフなどと同じですね。理化学研究所は寄付したい研究を指定できるなど、ユニークですね。今後はこういった科学技術に対してもコンスタントに寄付金を考えてみたいと思います。

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2012年2月28日 (火)

天祖神社

亀戸天神から歩いて10分ほどの場所に鎮座していました。正直、ここで天祖神社に巡り会えるとは思っていませんでした。

社殿によると、推古天皇の治世に創建されたのですが、その後衰退したのを1403年に復興した、とのことです。ただ、調べてみると他にも縁起がありました。それによると、1395年に僧侶である良傳が龍眼寺と共に創建した、とあります(風土記)。両者を比べるとまったく違いますね(苦笑)。

天祖神社は神明神社とも言われ、伊勢神宮内宮を総本社とする神社なので、御祭神は天照大神となります。境内は狭かったですが、落ち着いた雰囲気を感じることができました。

参拝してご縁を結ばせていただきました。その後、御朱印をいただきました。

最後に、この神社は、亀戸七福神の一つ(福禄寿)として親しまれているそうです。

参拝日:2012/1/14

※ 拝殿です:2枚目
※ 縁起です:3枚目

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2012年2月27日 (月)

五行大義ー体性を弁ず(6)

洪範伝には「金に従革と曰(い)う。」とある。従革とは革は更(あらた)まることである。規範にしたがって更まることで形が革(あらた)まって器となることである。西方にあるものがすでに成就すると殺気が盛んになる。したがって秋気が起こって鷹や隼が羽ばたき、春気が動いて鷹や隼が変化するのである。これが殺と生の二つの端(はじめ)である。(秋分には)白露が霜となる。霜は殺伐が表に現れたものである。

君主は兵を教育し、軍隊を集めて不義を行う者を殺し、暴乱を禁じて民衆が安心して暮らせるようにする。昔の君主は平穏な時も危機を忘れず、思いがけないことが突然襲ってこないように注意を払った。そこで、天下が平穏だといっても戦争を忘れる者は危うく、国が強大だといっても戦争を好めば必ず滅ぶ、というのである。

殺伐は必ず正しい道理に従わなければならない。正しい道理に従えば金気が順行し、金気が順行すればその性質のようになる。その性質のようになれば鍛冶屋が金属を鋳て形を革めて器を作ることができる。もし君主が侵略を楽しみ、戦争を好み、情欲や賄賂を貪り、万民の命を軽く扱い、人民が反乱を起こせば金気はその性質を失い、鍛冶屋も鋳ることができず、金属は固まって完成しないものが多くなる。

秋の季節には万物はみな熟し、百穀もすでに熟している。もし金気に逆らったならば万物は熟成しない。だから金に従革せず、と言うのである。

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2012年2月26日 (日)

週末もパソコンに向かうことが多くなりました

以前お話ししたように、勤務先が変わることによって新しい案件に従事することになります。その際に高品質のものを短期間に作成できるように、レベルアップを図る必要があります。ということで、最近では週末もパソコンに向かって勉強することが多くなりました。もっとも、神社・仏閣巡りは相変わらず別スケジュールになっており、そのための時間は確保されていますが(苦笑)。

何をするにも基礎が大事だと思っています。わかっていたつもりでも、なぜ?と考えると意外にわかっていないことがあるものです。ということで、信用できそうな書籍を2冊ほど選んで、それらを重点に学習し直しているところです。あと、Appleから豊富なサンプルプログラムが提供されているので、それも参考にしてはいるのですが、サンプルのくせに怪しいところがあるので参考程度となっています(苦笑)。

残された時間はそう多くはないので、多少無理をしても時間を確保して学習を進めて行きたいと思っています。ダラダラと長くやっていてもしょうがないので、これくらいの期間がちょうどよいのかもしれません。

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2012年2月25日 (土)

亀戸天神

亀戸石井神社からだと歩いて10分ほどでしょうか。梅が有名なのでしょうが、個人的には藤で有名な場所だと思っています(苦笑)。藤祭りには足を運んだことがあるのですが、ちょっと時期を外したようです。外さなかったら奇麗なのでしょうが、人もたくさんいるはずで、何を見に行ったかわからないかもしれませんね(苦笑)。

さて、本題に戻ります。創建は1661年とのことです。天神信仰を広めるため社殿建立の志を持った道真公の末裔が諸国を巡った結果辿り着いたところがここで、元からあった天神の祠に道真公ゆかりの「飛び梅」で彫った天神像を奉祀したのが始まりと言われているそうです。天神様ということなので、御祭神は菅原道真公です。

境内は広いのですが、人が通れるところは思ったよりありません(苦笑)。参拝客はたくさんおりましたが、受験生はあまりいなかったような気がします。時期が時期だけにすでに参拝済みなのかもしれませんね。

この神社の境内では、「猿回し」が催されています。私達が参拝した際にもやっていました。子どもが最後まで見たいと言っていたのでみました。伝統芸能を守る、というのは大変ですね。そう言えば他の神社では見ることのない風景ですが、何か理由があるのでしょうか。ちょっと興味があるところです。

参拝してご縁を結ばせていただいたのち、御朱印をいただきました。

参拝日:2012/1/14

※ 拝殿です:2枚目
※ 撫で牛です:3枚目
※ スカイツリーが見えました。意外に大きかったです:4枚目

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2012年2月24日 (金)

五行大義ー体性を弁ず(5)

洪範伝には「土に稼穡(かしょく)と爰(い)う。」とある。稼穡とは種を蒔くことを稼と言い、穀物を取り入れること(収穫)を穡と言うのである。土は地道であり、万物はこの土を貫いて生えてくる。そこで稼穡と言うのである。土は中央に位置し、四季を司り四季を成立させる。中央は宮中のことで、宮室や夫婦、親族の象である。

昔は天子から士人に至るまで宮室や寝処に皆高卑の規則があった。そして、古い書物には贅沢にするよりはむしろ倹約であれ、とある。禹という伝説上の聖王は宮室を卑(ひく)くして倹約したので、孔子はこれを善(よ)しとした。后、夫人、左右のそばめには差があり、九族にも順序があり、肉親には恩がある。これは、すべての人々が守るべきものである。過不足のないほどよい気に順えば土はその本性を得る。その本性を得れば百穀は実り稼穡はうまく行く。もし、君主が意を欲しいままにし、宮室や物見台を広くし、五色をちりばめ、人力を使い果たし、親疎の区別もなく、妻妾も度を過ごせば、土もその本性を失ってしまう。土がその本性を失うと気が乱れ、稼穡もうまく行かない。だから五穀も実らず、風や霧が害をなす。そこで土に稼穡せず、と言うのである。

  • 九族:父方の四親族、母方の三親族、妻方の二親族の九親族か、高祖から玄孫(高祖、曽祖、祖父、父、自分、子、孫、曽孫、玄孫)までの九親族を意味する。

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2012年2月23日 (木)

勤務先が変わる予定です

まだ確定ではありませんが、4月末で今の勤務先を変わることになりました。今の仕事は終わったと思うとすぐに次の仕事が始まるので、正直なところ、疲れました。仕事は嫌いではないのですけどね。もう少し腰を落ち着けてやりたい、というのが本音です。

とはいうものの、あと2ヶ月あるので、それまでの間は予定されている案件をやることになります。結構なボリュームがあるはずなので、それなりに時間がかかると思います。モチベーションが下がらないようにコントロールする必要がありますね。

次の仕事の話しもいくつか出ているのですが、少し休みたいところです。時期的にもいいので、遠くまで神社・仏閣巡りをしたいところです(苦笑)。

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2012年2月22日 (水)

亀戸石井神社

亀戸駅から歩いて8分ほどの場所に鎮座していました。住宅地の中にありました。地図には「亀戸石井神社」とあるのですが、通称、「おしゃもじ稲荷」と言うらしいです。由緒書きからすると、咳を治す神様として信仰されてきたようです。神社からしゃもじを1本借り、病が治ったら2本にしてお返しするのだそうです。ふーん、という感じですね。

御祭神ですが、ここでは石器時代の石棒が御神体とされているとのことです。石なので、石神と呼ばれることもあり、石→セキ→咳というつながりらしいです(苦笑)。それで先にご紹介した通り、咳を治す神様につながりますね。笑点を見ているような感じを受けるのは私だけでしょうかね(苦笑)。

元は広い敷地があったそうですが、何やらいろいろな経過を辿り、現在の狭い境内になったようです。

参拝して(石神様と)ご縁を結ばせていただきました。きっと何かの時には力になっていただけると思います(意思の強さ、とか)。御朱印はいただけませんでした。

参拝日:2012/1/14

※ 拝殿です:2枚目
※ 再建の趣旨が書かれていました:3枚目

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2012年2月21日 (火)

五行大義ー体性を弁ず(4)

洪範伝には「火に炎上という。」とある。炎上とは南方であり、光輝を挙げ、盛夏にあり、気が極まって上がることである。そこで炎上と言うのである。王者が明かな方向に向かって政治を行えばよく治まる。思うにその象を取ったからである。

昔、賢明な王は南面して政治を行い、天下の優れた人材を集め、彼らを朝廷に置いて政治を助けさせた。また、悪い人臣を退け、彼らを朝廷から追放して政治を正しい姿に戻した。正しい人を任命できれば天下は大いに治まり、王は腕を組んだまま何もすることがない。易経では離を火とし、明としている。離を重んじ、明を重んじれば君臣ともに明かになる。明かになれば火の気に順う。火の気が順行すれば、その性のようになる。その性のようになれば、よく成熟して人々の役に立つようになる。これを用いたならば起こり、これを捨てたならば止んでしまう。もしも君主が聡明でなく賢良の臣下を遠ざけ、心が邪で口先がうまい臣下を用い、法律を無視し、肉親を疎んじ、忠義をもって諫める臣下を殺し、罪人を許し、正妻の子を後継ぎに立てないで妾の子を立てて、妾を正妻としたならば火はその本性を失って用いずして火が起こり、風にしたがって斜めに行き、宗廟や宮殿を焼き、また民の家を焼いてしまう。そこで火に炎上せず、と言うのである。

  • 南面:天子の座が南に向いていたことから天子の位に就くことを意味する。

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2012年2月20日 (月)

こんなことがありました

回数的には少ないのですが、去年の12月くらいから今月にかけて、時折みぞおちが痛くなることがありました。みぞおちが痛い、というのは医学的には結構危ないらしいです(苦笑)。というのも、そこにはいろんな場所から神経が集まっていて、どこが原因なのか、特定するのが難しいからだそうです。必ずしも胃が悪いから、ということではなく、もしかしたら他の臓器に原因がある可能性もある、ということです。

直近でみぞおちが痛くなった時のことです。痛みが2時間くらい続いていたこと、仕事をしようにも考えることができないこと、前日に続いての痛みであることなどから早退して病院に行くことにしました。電車に乗り、辛かったので座ったのですが、その際、体を捻った際、「ポチッ」?という音が聞こえました(苦笑)。その瞬間に痛みが治まってしまいました。これって、もしかして捻れかなんかが原因で神経を圧迫していた、ということでしょうか。

結局、病院には(検査を目的に)行ったのですが、(整体か何かに行った方がよいのかな、と思ったので)薬をもらってくるだけにしました(苦笑)。当面経過を観察し、今度痛くなったら検査をしてもらおうと思っています。

それにしても、あの「ポチッ」っていうのは何だったのでしょうかね。

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2012年2月19日 (日)

八雲神社

神明神社から歩いて5分ほどの場所に鎮座していました。最寄りはやはり「鉄道博物館駅」で、ここからだと歩いて3分くらいだと思います。

あまり神社、という感じがしないところでした。創建はわかりませんでしたが、1600年に大成村の初代藩主になった小栗忠政が社殿を建立し、神霊を勧請した、という話があるようです。社名からして、御祭神は須佐之男命です、たぶん。

参拝してご縁を結ばせていただきました。御朱印はいただけませんでした。

参拝日:2012/1/6

※ 拝殿です:2枚目
※ 縁起です。ちょっと写り込んでしまいました(苦笑):3枚目

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2012年2月18日 (土)

五行大義ー体性を弁ず(3)

洪範伝には「木に曲直と言うのは東方である。」とある。易経の観の卦の象伝には「風(巽)が地(坤)の上を行くのは観である。」とある。そう言うのは、春の季節に地上に生える木はすべて曲がったり真直ぐになったりして、そこに花や葉を観ることができる。人の威儀や容貌のようなものである。(許慎の)説文解字には「地上にあって観ることのできるもので木以上のものはない。だから、相という字は目の傍らに木があるのである。」とある。

昔の王者は輿に乗る時には鸞和(らんわ)のきまりを、車を降りる時には佩玉(はいぎょく)の定めを、狩猟の時には三方は囲むが一方は開いて完全には包囲しないという取り決めを、遠方に旅する時の酒盛りに杯のやり取りの礼があった。また、何事もない時には天子は地方を巡幸せず、民衆から農業に必要な時間を奪うことをしない。これは、春は農業の始めだからである。貪欲や姦謀がないのは木の気に順(したが)うからである。木の気が順行すれば、その木の性質のように盛んに茂り実って民の役に立つのである。真直ぐな木は大工の墨縄に、曲がった木はコンパスに合う。しかし、もし君主が威儀を失って酒に耽って欲しいままになり、夫役や税金を重くし、狩猟に節度がなかったならば、木はその性質を失って、春になっても生長しないで民の役には立たなくなる。橋はその墨縄に合わない。そこで、木に曲直せず、と言うのである。

  • 洪範伝:伝とは経書の注解を意味する。ここでは洪範五行伝を指す。
  • 象伝:易経の本文の真意を解釈して伝えるものであり、世の中のあらゆる形あるものを取り上げて、その物の形、性情などを八卦または六十四卦の中に取り入れて見たものである。各々の卦や象にならって取るべき人の道を教えて教訓的な内容になっている。
  • 鸞和:天子の車につける黄金製の鈴を意味する。
  • 佩玉:身分の高い人が大帯にかけて飾りとした玉を意味する。身分の高さによって玉の種類が違った。
  • 夫役:道路や堤防の工事など、公の土木工事のために人民を徴用することを意味する。

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2012年2月17日 (金)

音楽会

先日、子どもの小学校で音楽会の催しがあったので見に行って来ました。基本は各学年ごとに合唱や器楽演奏をするのですが、アンサンブルクラブみたいのがあって、そこも参加していました。

どの学年も一生懸命練習したようで、とてもよかったと思います。その中でも特に印象に残ったのが1年生と6年生による発表でした。

1年生は、「大きな古時計」の合唱がよかったです。この曲、何を言っているのか、わかって歌っているのかな、という疑問はありましたけど(苦笑)。

6年生は、「新世界から」の第4楽章と「威風堂々」を笛やピアニカ、木琴、鉄琴、打楽器などで演奏しました。正直、クラシックとして有名な曲をこの編成で演奏できるのか、疑問だったのですが、うまく編曲してあり、雰囲気は伝わってきました。ちょっと感動ですね。

6年生にとっては最後の音楽会ということもあって、よい思い出になったのではないかと思います。ちなみに、子どもは2年生ですが、一生懸命歌い、楽器演奏していました(笑)。

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2012年2月16日 (木)

神明社

護国神社から歩いて15分ほどの住宅街の中に鎮座していました。新都市交通の「鉄道博物館駅」からだと歩いて10分ほどだと思います。

境内は狭かったです。隣の民家との距離がやけに近かったのが印象的でした(苦笑)。社名から御祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)です、たぶん。

「天地神明に誓う」という言葉がありますが、「神明」は天照大神のことを指す以外に、単に神を指す場合があります。明治時代に全国の神社の調査が行われたのですが、(その神社の)氏子に神社の御祭神について質問したところ、氏子も何の神が祀られているかを知らず、「神」というつもりで「神明」と答えたら、天照大神を祀る神明神社ということにされた、という例も少なくないそうです(苦笑)。

参拝してご縁を結ばせていただきました。御朱印はいただけませんでした(いただけるかどうかも不明です)。

参拝日:2012/1/6

※ 拝殿です:2枚目
※ 縁起です:3枚目

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2012年2月15日 (水)

五行大義ー体性を弁ず(2)

洪範には「木に曲直と言い、火に炎上と言い、土に稼穡と言い、金に従革と言い、水に潤下と言う。」とある。これはそれぞれの性質を言ったものである。淮南子には「天地に集まった気は陰陽となり、陰陽の純粋になった気は四季となり、四季の散じた気は万物となる。積陰の寒気は水となり、積陽の熱気は火となる。」とある。

水は陰のものと言っても陽がその中にある。だから水の体は内側が明るいのである。

火は陽のものと言っても陰がその中にある。だから火の体は内側が暗いのである。

木は少陽であるが、その体もまた陰気を含んでいる。だから側内は空虚であるが、外側には花や葉があり、茂っているのを観ることができる。

金は少陰であるが、その体は強くて鋭く、殺性が外側にあるが、内側には光明があって照らすことができる。

土は木・火・金・水の四つの徳を包含している。だから、その体は虚と実を兼ねているのである。

  • 洪範:「尚書」、周書の編名。洪は大、範は規範を意味し、天下統治のための大法を記したものとされている。

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2012年2月14日 (火)

独断と偏見:こんな神社ありですか?

基本、週末には神社・仏閣を巡ると、必然的にいろいろなことを見聞き・体験します。最近は、こんな神社ありですか?と思えるような神社に出逢うことが多くなりました。

ということで、独断と偏見で行く価値のない神社を実名でランキングすることにしました。人をきちんと扱えないところが、もっと漠然とした神をきちんと扱えるはずがない、というのが基本的な発想です。なお、今後、参拝を続けて行くと順序が逆転する場合もあると思います。あくまでも現時点での順位ということでお願いします。それから、これはあくまでも私にとってです。したがって、私にとっては最悪でも他の人にとっては最高、ということも理論上はあり得ます。

第1位

  • 銭洗弁財天宇賀福神社(鎌倉)
  • 正月に参拝に行った際、御朱印をぞんざいに扱う職員がいた。また、腕組みをして椅子にふんぞり返っている神主がいたので。参拝客がたくさんいる中、そんなに暇なら手伝うのが普通でしょ。

第2位

  • 日枝神社(東京都/赤坂)
  • 携帯電話で話しをしながら御朱印を書いたので。普通、そんなことはしないでしょう。

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2012年2月13日 (月)

護国神社

大宮氷川神社の側にありました。側と言っても、広いので、歩いて10分程度はかかったと思います。もともとは、氷川神社の境内に埼玉縣招魂社として建立され、県内の戦死者2,000余柱が祀られ、その後分離して、埼玉県護国神社となったとのことです。

参拝した際に、境内を掃除している方がいらっしゃいました。しかし、参拝者は他にありませんでした。手水舎に水は流れていたのですが、柄杓はありませんでした(苦笑)。これでは参拝しにくいですね。

子どもと一緒に静かに手を合わせ、この場をあとにしました。

参拝日:2012/1/6

※ 拝殿です:2枚目

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2012年2月12日 (日)

五行大義ー体性を弁ず(1)

体は形と性質によって名付けられたものであり、性はそのものの働きによって定義されたものである。五行のこうした体と性で万物を助け増やす。そういう理由で体と性を一緒にして五行について述べることにする。

木は少陽の位にあり、そこでは春気が和し、暖かくて柔らかい。火の性質がその中に伏しているからである。そこで、木は暖かくて柔らかいを体とし、曲がったり真っ直ぐだったりすることを性とする。

火は大陽の位にあり、そこでは炎が盛んに燃え、非常に明るい。そこで火は明るく熱いを体とし、燃え上がることを性とする。

土は四季の真ん中にあり、季夏(晩夏のことで旧暦六月を指す)の末におり、そこでは陽気が衰えて陰気が長ずる。中央に位置し、木・火・金・水の四行をまとめ、塵を積んで実をつける。積もれば空間ができ、空間ができればその中に含み入れることができる。また、実をつけるのでよく保持することができる。そこで、土は散らばっているものを集め、実のあるものを保持することを体とし、作物を植えたり取り入れたりすることを性とする。

金は少陰の位にあり、金の位である西方はものを成就させるところである。ものが成就すれば固まって強くなる。また、少陰は清らかで冷たい。そこで、金は強くて冷たいを体とし、自由に形が変えることを性とする。

水は寒く虚しいことを体とし、潤い下ることを性とする。

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2012年2月11日 (土)

iPhoneアプリを作ります

先日、iPhoneアプリのお話をしましたが、実は、ある分野の既存アプリに以前から不満があったので、今回、自分で作ってみることにしました。基本となるアイデアはあるので、取りあえずそれを実現し、使い勝手などを見ながら機能アップし、納得できた時点で公開したいと思っています。一応、有料版を考えています(苦笑)。

現在、画面構成や画面イメージを検討しているところです。これらは紙と鉛筆があればできる作業です。シンプルで使いやすいものを目指しています。

この工程が終わるとプログラミングになります。毎日仕事としてやっているので慣れてはいるのですが、今一度基礎から学び直すのもよいと思い、別途勉強中です。

プログラミングはよいのですが、アプリとなるとデザインが必要になります。こちらはからっきしなので、どうしようかと頭を痛めているところです(苦笑)。昔の伝手を辿るか、新規に募集するか、どちらにしても難関ですね。今から悩んでもしょうがないので、アプリができたらもう一度考えることにします(苦笑)。

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2012年2月10日 (金)

大宮氷川神社

大宮駅から歩いて20分ほどの場所に鎮座していました。周辺は大宮公園になっています。10年くらい前に一度参拝したことがあるのですが、今回、改めて参拝しました。

参道は長く、平日にも関わらず両脇は屋台で溢れていました。こういった風景が普段の大宮神社なのかもしれませんが、前回参拝した時も正月だったので判断はできませんが、たぶん正月だけの風景だと思います。何かしらの行事がある時は別かもしれませんが。

主祭神は須佐之男命、奇稲田姫命、大己貴命です。創建は紀元前473年とのことです(社殿)。驚きですが、ちょっと考え難いですね。境内は大変広く、緑が豊かな場所でした。寒かったですが、気持ちがよかったです。最近では昔と違って微妙な感覚を感じ取るほど繊細ではなくなったので(苦笑)何とも言えませんが、個人的には好きな雰囲気の場所です。

拝殿は思ったより小さいな、というのが個人的な印象です。まぁ、大きければよい、というものではありませんが(苦笑)。そこに、祈祷を受けるためにたくさんの方々がいました。いろんな神社を見て来ましたが、これほどたくさんの人が一度に祈祷を受けるのを見たことがありません。信仰の篤い神社なのでしょう。

逆に大きかったのは賽銭箱です(苦笑)。それだけの参拝客があるということなのでしょう。

巫女さんも多かったです(苦笑)。総勢20名くらいはいたと思います。逆に言えば、それだけ参拝客が破魔矢やお守り、お札などを買って行く、ということなのだと思います。

参拝してご縁を結ばせていただいたあと、御朱印をいただきました。

参拝日:2012/1/6

※ 露店が参道に沿って並んでいました:1枚目
※ 三之鳥居です:2枚目
※ 拝殿です:3枚目
※ 境内の様子です:4枚目
※ 巫女さんがずらりです(苦笑):5枚目

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2012年2月 9日 (木)

五行大義ー名を釈すー支干の名を論ず(4)

次に十二支の別号について述べる。

「爾雅」の歳次には「大歳(木星)が寅の方向にあることを攝提格(せっていかく)と名付ける。」とある。淮南子の注釈書には「格は起である。万物は陽気を受けて起こる。」とある。

大歳が卯の方向にあるのを單閼(せんあつ)と名付ける。單は盡(つきる/尽きる)であり、閼は止(とまる/止まる)である。陽気が万物を推して起こり、陰気が尽く止まってしまうことをいう。

大歳が辰の方向にあるのを執徐(しつじょ)と名付ける。執は蟄(ちつ/隠れる)で、徐は舒(じょ/伸びる)である。地中に隠れていたものが皆伸び出してくることを言うのである。

大歳が巳の方向にあるのを大荒落(たいこうらく)と名付ける。荒は大(だい/大きい)であり、万物は極めて盛んで大きくなり、ゆったりと伸び広がることを言うのである。

大歳が午の方向にあるのを敦(爿)羊(とんしょう)と名付ける。淮南子の注釈には「ざんそうという星の名であり、敦は盛(せい/盛ん)で、(爿)羊は壮(そう/盛ん)である。万物が盛んになることを言うのである。」とある。

大歳が未の方向にあるのを協洽(きょうこう)と名付ける。淮南子の注釈書には「協は和(わ/和する)であり、洽は合(ごう/合する)である。陰に変化しようと欲し、万物が和合することを言うのである。」とある。

大歳が申の方向にあるのを(さんずい)君灘(とんだん)と名付ける。淮南子の注釈書には「(さんずい)君灘とは大修(たいしゅう/大いに修める)である。万物が皆その精気を修めることを言うのである。」とある。

大歳が酉の方向にあるのを作鄂(さくがく)と名付ける。淮南子の注釈書には「作鄂と名付ける。作鄂は零落(れい/枯れ落ちる)である。万物が皆枯れ落ちてしまうことを言うのである。」とある。

大歳が戌の方向にあるのを閹茂(えんぼう)と名付ける。掩は蔽(へい/蔽う)であり、茂は冒(ぼう/冒う)である。万物が皆おおい隠されることをいうのである。

大歳が亥の方向にあるのを大淵獻(だいえんけん)と名付ける。淵は藏(ぞう/かくす)であり、獻は迎(げい/迎える)である。万物は十二支の最後である亥で終わって大きいものも小さいものも深く藏し、伏して陽気を迎えることをいうのである。

大歳が子の方向にあるのを困敦(こんとん)と名付ける。困は混(こん/混じる)であり、敦は沌(とん/混沌)である。陽気が混沌として万物が芽を出すことをいうのである。

大歳が丑の方向にあるのを赤奮若(せきふんじゃく)と名付ける。奮は起(き/起こす)であり、若は従(じゅう/従う)である。陽気が万物を奮い立たせて起こし、その性質に従わないことがないことをいうのである。赤は陽の色である。春秋緯には「大陰(太陰)のあるところの名である。」とある。淮南子の注釈書や爾雅と同じではない。

  • 爾雅:十三経の一つで中国古代の文字の書である。魯の周公の作と言われている。
  • 歳次:歳星(木星)のやどりを意味する。歳星は約十二年で一周する。
  • (爿)羊:左のようなイメージの文字。意味については調査中。
  • ざんそう:フォントがないので仮名表記とした。ほうき星の名と思われる。
  • (さんずい)君:さんずいに「水」という字。フォントがないためこのように表記した。意味については調査中。

以上が支干の別名である。大意は気に従って説明してきたものであり、上述のように具に説明したものである。

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